三島由紀夫 石原慎太郎 対談「新人の季節」 | さむたいむ2

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中公文庫のオリジナルで『三島由紀夫 石原慎太郎 全対話』というものがあります。

昨年が三島由紀夫没後50年ということで企画されたものと思われます。9つの対談と、昭和45年6月11日付けの「毎日新聞」夕刊に「士道について」という三島から石原への公開質問状に対し、石原から三島への返答として同紙に「政治と美について」と載せられています。さらに2010年9月、石原は中央公論からのインタビュー「三島さん、懐かしいひと」をあとがきにかえて、この「全対話」はなっています。もし三島と石原の交友に興味のある方は、この公開質問状と返答から読まれた方がわかりやすいでしょう。ただ私は石原の「灰色の教室」「太陽の季節」「狂った果実」という3つの短編を読んで来たので最初の対談「新人の季節」から読むことにしました。

 

昭和31年「文學界」4月号でふたりの対談は始まります。前年『太陽の季節』で芥川賞を受賞し、まさに新人の石原です。三島は彼を「エトランジェ」といっています。「日本は神代の昔から異邦人を非常に尊敬した。自分の部落民とちがう人種がはいってくると、稀人(まれびと)で客人(まろうど)であり、非常に面白がられて、珍しがられた。そういうふうにしてあなたははいってきたわけだ」と石原の登場を面白がっています。昭和19年『花ざかりの森』でデビューし、『仮面の告白』『潮騒』などですでに「文壇の寵児」といわれた三島です。

 

当時石原は文壇から賛否の評価を受けていました。その新人作家に「エトランジェ」という称号を与えた三島は、皮肉ではなく、文学の「旗手」としてバトンを渡し大きな期待を寄せていたのです。

 

石原は文壇というものに小説を書き出すまでは「価値概念」などもっていなかったという。しかしいろいろ人と会ってみて、そういうものが出来つつあるのだが、よく人から、周りでガヤガヤいわれて非常にうるさくないか、気にするな、といわれるが、自分は別に気にしていなかったという。そんな石原に対して「プロフェッショナルな意識がないからだろう」と窘められます。

 

「価値概念」がなければ書かなくていいのです。三島は小説家の意識がはじめは強かった。それは「自分を小説家として規定して、ほかに生き甲斐がないとおもった」と正直に答えています。それがなくなったのはトーマス・マンを読んでからで、マンが銀行家と間違われる格好をして作品を書き上げている。いかにも文学青年面して書くのではなく、「芸術というものをいかに隠すか」を心がけることを教わったのです。しかし「芸術も一生懸命やらなければとてもできるものではない」と付け加えています。

 

それは作家としてのスタイルばかりでなく「文体」にもいえることで、石原は「読んでみると文体にスピードがあるかどうかすごく気になる」ということに対して、「コクトオのスタイルなどは好き?」と問い、「好きですね。このあいだ三島さんがおっしゃったが、陸上競技のようにしなやかでバネがある」と答えます。三島は「非常に収斂した形の文体でなければスピードがでないと思うがな」といい、そのためにはコンディションが大事で「一日8時間睡眠をとる」という。石原は「僕のは睡眠でなくスポーツです。ごく生理的要求ですね」とふたりの体躯の違いがわかります。

 

このように作家それぞれの違いがあるから面白いのであって、読者もまた文学を暇潰しに読むものもいれば、思考を巡らすために楽しむものもいます。そう、いろいろあっていいのです。