石原慎太郎の『太陽の季節』と『狂った果実』 | さむたいむ2

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今日も元気で

もうすっかりコロナ自粛が身について家に居ることが苦痛にならなくなってしまいました。

家で何をするかというともっぱらテレビを見ています。もはや体たらくだなんて思わなくなってしまったので困ったものです。「兎に角どうするか」と勢い込んでみたものの結局は日常に馴染んでいくのです。

 

先月BSで『裕さんの女房』を見て、石原裕次郎のことを考えていたら、映画『太陽の季節』と『狂った果実』のDVDを借りて観ることになりました。いまの若い世代は彼のことを知らないでしょう。彼は私よりひとつ世代の映画のヒーローで、私でいえば加山雄三のような存在です。またテレビでは『太陽にほえろ』『大都会』『西部警察』の「ボス」でもありました。

 

まして彼の映画はかろうじてテレビ放映されたものの、たとえば『陽のあたる坂道』『あいつと私』といったのを劇場ではなくテレビで観たものです。この2作の原作は石坂洋次郎で、思えば当時彼の原作もかなり映画化、ドラマ化していました。なかでも裕次郎の最高の相手役は芦川いづみでした。ご存知でしょうか。あのキュートな笑顔が良いのです。申し訳ないけど北原三枝は石原夫人としての存在で十分です。なので必然的に石原裕次郎の初期の映画は観ていません。そして今更、石原慎太郎の『太陽と季節』『狂った果実』をいま初めて観たわけで、思えば当時の映画はどこか間が抜けています。

 

それは映画作りが稚拙なためです。特に「日活」の俳優はみな若く、演技というよりも勢いでこなしているのです。セリフも早口でぎこちなく、この2作だけかもしれませんが、「太陽族」と呼ばれた若者たちの稀薄さだけが見事に描かれています。そうです。この『太陽の季節』は若者の乱脈な風俗を描き、そして彼らは盲目的な裕福さに満足しています。そして1955年の下半期の「芥川賞」を獲得し、一大ブームを巻き起こしました。

 

『太陽の季節』はボクシングを嗜む青年達で、実は高校生なのです。彼等のあり余るエネルギーは到底スポーツだけでは充たされず、女の子と遊ぶことで自分の力を誇示しています。それは時代が変わった今でもそうでしょう。当時は裕福な子女に限られていましたが、今では鎌倉、葉山といった湘南を泳ぎ、サーフボートで遊ぶ若者たちで一杯です。(コロナ禍にあっても彼らは怯みません)。無軌道な行動でひと夏の若さを燃焼するのです。「彼らの夏」は海とヨットと、サーフィンという象徴詩句で便宜的に語られています。

石原慎太郎は英子という魅力的な女の子を道久、竜哉兄弟に競わせます。元々英子は竜哉の彼女でったのですが、弟のウブさに横やりをいれるのです。それまでは仲の良い兄弟でした。竜哉は英子に真剣であればあるほど粗雑に扱います。もう自分のものと安心していたのでしょうか。それとも英子なら自分を理解してくれるものと思い込んでいるのでしょうか。英子もまた最初は遊びであったのが今までとは違ったものを竜哉にみていました。このすれ違いに道久は入り込んだのです。そしてこの三角関係は悲劇へと向かいます。

 

『狂った果実』でも夏久、春次の兄弟が恵梨をめぐって競います。その容赦ない戦いが悲劇を呼ぶのは『太陽の季節』と変わりありません。若さという「果実」がエゴイズムという狂いが生じるのです。恵梨は英子ほど賢くありません。夏久でも春次でもよかったのではないでしょうか。ただ春次のひた向きさが狂いを呼び起こします。これまた避ける事のできぬ争いでした。

 

この2作を読んでみて石原慎太郎の文法を無視した書き方が当時は新鮮であったことを想像します。斬新とは褒めすぎでしょう。今だったら敬遠された文体です。芥川賞候補からも外されるでしょう。当時でさえ賛否が問われたものです。ただ強引な力で押し切った感があります。これを文章力というものはいないのです。恐いもの知らずという一途で押し切ったのです。彼が文学から遠ざかり、政治へ向かった訳がわかります。ただ政治の世界でもその強引さが、晩年の「老害」といわれた所以です。唯一『弟』は名作として残るでしょう。石原裕次郎は永遠のスターです。