清水達三の絵を知ったのは横浜の義兄から送られた一枚のはがきです。
上の絵はそれと違いますが、この風景画なんて美しいのでしょう。
義兄が送ってくれた絵はがきは滝の絵でモノクロームです。
上の絵は秋の湖畔ではないかと思われます。雲間から見えるのは月か太陽か。
不思議な絵です。もし月であれば夕暮れですが、ほの明るさは明け方ではないか。
するとあれは日の出でしょうか。それにしてはもう上空高くにあります。
でも山の頂近くにあるのだから、日の出からしばらく時が経っています。
人知れず秋の朝の湖畔と了解しましょう。
これもまた清水達三の絵です。風景画とは違った描き方です。
「舞妓」を描いていますが、これを絵姿とよぶのでしょうか。
写実=リアルという概念からほど遠く、舞妓の可愛さを追求した結果です。
清水氏の眼が風景と人物にたいして、その表現の仕方が違うのは興味深い。
現代の日本画を最近見始めて思うのは、日本画壇に連綿と続く技法に倣いつつも、それぞれの画家の描き方は独自のものであって先人の追従ではないことです。洋画と見まがうものもあります。
これは芸術全般にいえることですが、創作は規定概念の破壊にあります。こうでなければならない、だなんて必要がないのです。こうあるべきという主張が大事です。
清水達三の絵をみるとそれが明確に顕われています。