角田光代の『予定日はジミー・ペイジ』を読む | さむたいむ2

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角田光代の作品はこれで2冊目です。『空中庭園』は集合住宅に住む家族の日常をそれぞれの視点で描いたもので、意識のすれ違いを組み合わせていました。しかしそれは余りに作者の作為が見え過ぎたために小説としての面白さに欠けています。
 
さてこの『予定日はジミー・ペイジ』はまずタイトルに引きつけられます。予定日とは出産予定日のことで、主人公であるマキが妊娠に気づき、近くの産婦人科で診察を受け出産予定が1月7日と知らされ、その帰りに書店に寄って「誕生日の本」を買って調べたらジミー・ペイジと同じ日であることを知ります。
ジミー・ペイジとはイギリスの伝説のロック・バンド「レッド・ツェッペリン」のギターリストです。ギター・テクニックはジェフベック、エリック・クランプトンの並んで3大ギターリストと称されています。1967年生まれの作者は相当なロックファンです。なぜならこのバンドはドラムのジョン・ボナームの事故死により1980年に解散しています。まさか13歳の彼女がその衝撃を経験していなくとも、少なくともジミー・ペイジの名を知っているということはロックに夢中になっていた時期があったことは確かです。
 
果たしてマキがロックファンであるかどうかは分かりませんが、妊娠を告知されて医者から「おめでたですね」といわれた時喜んで良いのか分からず「めでたいですかね」と思わず呟いてしまいます。マキはなぜか爽やかな気分になれません。むしろ妊娠を伝えた時の夫の「やったあ」という喜びに驚いているほどです。
 
女性がすべて妊娠を喜ぶとは限らないのです。それなりの事情を抱えて堕胎するひともいます。マキの場合はそんな深刻な問題はありませんが、子どもを欲しいと思ったこともなく、また結婚も彼女は進んでしたわけでもありません。「試しに」といった気持と云った方がいいでしょう。彼女には夫と知り合う前に好きな恋人がいました。彼といた時の幸せな気分は今でも忘れることが出来ません。彼の浮気が原因なのですがマキはいさぎよく別れました。いさぎよく別れた分だけ心に残ってしまったのでしょう。この空白感を抱いたまま「試しに」結婚してしまったのです。だから今の夫に対してまだ知らない部分が沢山あります。
 
マキの夫は無邪気に喜びを表現しています。作者はここでも男の幼児性を描いています。さらに別れた恋人まで同じ視点で見ているのでしょうか。もしそうだとしたら大事な部分を見落としています。なぜあんなに好きだった恋人が浮気をしたのでしょう。あの頃はお互いに若かったから欲望に打ち勝てなかったとでもいうのでしょうか。マキは好きという思いに夢中になっていたのでしょう。恋人を見ずに自分しか見ていなかったのです。それも男は幼稚なものと安心していたために。
 
女である作者には理解できないのかもしれません。男が女のことを理解出来ないように。ましてや妊婦の精神状態を推し量ることは出来ません。共に暮らし様々な衝突の中で手探りするだけです。またこの作品にはひとりで出産を迎える女性もいます。マキのメル友で、むしろマキの方が勇気づけられています。未婚の母が決して強いわけではありません。「ひとりぼっち」が子どもに寄ってふたりになれるのです。
 
マキも次第にそのことが分かりつつあります。しかし時々嫌な夢をみるのです。それはだいぶ以前亡くなった父親の夢です。呑んだくれのどいしようもない父でした。母に苦労を掛け続け、病気でさっさと死んでしまったのです。マキはそんな父を許すことが出来ませんでした。その父が夢のなかで「もうすぐしたらお前の所へいくよ」と不吉なことをいいました。あんな父親の生まれ変わりがお腹の赤ちゃんだなんて耐えられません。そんな夢の話を夫にしたら、慰めるどころか「そんなにお父さんのことを悪くいうなよ」と窘められます。マキは何も知らない夫の言葉に怒ってトイレに籠城します。およそ1週間ほど夫が仕事に行くまでトイレに籠っています。もちろん夜はそこで眠ります。お腹の子どもに悪影響かもしれないけど彼女は自分の気持を理解しない夫が許せないのです。
 
もうすでに彼女の性格は理解できたと思います。またそんなマキに戸惑いながらも大事にしている夫の姿も見えるようです。どこにでもあるごく普通の夫婦です。マキはトイレのなかで無性に別れた恋人に会いたくなります。ずっと心に引っかかっていたからです。友人を介して連絡先を教えてもらいます。マキが昔の恋人に会いたくなる気持ちは分かります。聡明な彼女はいまの自分がどう映るのか知りたいのです。
妊婦であることの自覚をそうすることによって確認したかったのです。
 
昔の彼は相変わらずでした。少し変わったところがありません。マキの姿をみて驚きはしたものの「おめでとう」と祝福してくれました。しかし話していくうちに何処か居心地が悪そうです。そうでしょう。昔の恋人がお腹を大きくして現れたからです。何を求められているのか皆目見当が付きません。それを察したマキはよいやく気づいたのです。
 
「私のおなかの子ども。この子どもは、きっとそういうものでできている。だれかを好きだと思うこと、必要だと思うこと、失うのがこわいと思うこと、笑うこと、泣くこと、酔っぱらうこと、少し先を歩くてのひらにてのひらをからめたいと思うこと、神様お願だからこの人を守ってくださいと思うこと、この人が笑っていられますようにと思うこと、この人がこわいものすべてから遠く隔たっていられますようにと思うこと、しげピー(昔の恋人のニックネームです)とのことだけじゃない、今までの私が、いや、私だけでなく、夫もまた、幾度もくりかえしてきた、祈りみたいなそういう気分。私がこれから産み落とすのは、そういうものだ。」
 
マキは恋人の前で泣いてしまいます。いままで避けていたことが実は大切な事だったのです。夫と喧嘩して、昔の恋人に会って、自分がいま一体何をしようとしているのかようやく気づいたのです。
 
小説は日付を追って書かれています。そして最後の1月9日。ジミー・ペイジの誕生日の翌々日、一番避けたかった父親の誕生日に出産の兆候が現れます。
 
大まかなストーリーを話してしまいました。しかし妊婦の揺れる心が知りたかったのです。男には到底及びつかないものです。しかしマキの夫も偉いと思います。しかしこの夫婦、子どもが成長するにつれ再び意見が別れて喧嘩の連続でしょう。たぶん夫が折れてマキ主導でいくでしょう。それでいいのだと思います。しかしこの二人をみて育つ子どもの行く末が少し心配です。しかしそれはマキ夫婦がどうにかするでしょう。作者である角田光代もどうする事も出来ないからです。