夫婦の不倫や浮気をテーマにしてトークをしていたのを見かけた。
いつも不思議に思う。
男の浮気はどうだとか、女の浮気がどうだとか。
どちらに責任があるとか、浮気するほうが悪いとか、される方が悪いとか。
一体何の話をしてるんだろうって思う。
例えば、私は一度も結婚も浮気もした事がないが、どちらかが浮気をしたとする。
それは確かに裏切りだ。性行為は、お互いの信頼を確認する作業だからだ。
お互いの恥ずかしい所を見せ合って、お互いの臓器に近い、弱い部分を触れ合って、
そうしてお互いの弱点を晒しても決して傷つけない関係である事を肉体で確認しているんだと私は捉えている。
それを行う必要があるのは独身の時に伴侶を探す為。
結婚してからはお互いの関係を、気持ちの上ではなく物理的に確かめあう為。
それを、本来必要の無い他者と行う事は、伴侶に対しての裏切りであるのは私も同意見だ。
だがそこから先、男が、女が、浮気した側が、された側が、そんな議論は正直何の話だろうと疑問に思わざるを得ない。
どっちが悪いとか、どっちに責任があるとか、そういうのも何でそんな話するのかよく分からない。
夫婦二人で辿った道の一つであるのなら、まず、そこでどちらが悪いとか、そういう問題以前に、許せないなら別れるべきだと思う。
しかし、許して一緒に生きるなら、浮気したという事象に対して縛られるのではなく、それに対して傷ついたものの存在を二人で真摯に受け止めて、浮気した側も、された側も、どちらかがどちらかを罰するとかではなく、二度とそんな悲しい事が二人の間で起こらないように、二人で何をすべきか寄り添って一緒に考えるべきなんだと思う。
だって罰を与えればすっきりして忘れるという単純なものではないからだ。
必要なのは、共に立ち向かう意識や姿勢。二人の結束の強さだと思っている。
そこに男女の隔たりは要らないし、加害者や被害者の概念も無いのだと私は思う。
あるのは、ただただ二人の今後の人生だけであって、善も悪も、意味も価値も無い。
ただ、そうした結果、もう一度浮気が起こった場合は、問題の焦点を見直す必要がある。
もう、それは浮気ではない恐れがある。
伴侶に対して、そもそも本気ではないという事。
これは、いかなる理由があっても別れなくてはならない。
夫婦というのは、つがいである事の印だ。
人間風に綺麗にいうと、愛し合っている証だ。
愛しあっていないのにその証を付けるとなると、他の目的の為の証となってしまう。
財産の共有、戸籍の共有だろうか。
だが、本来結婚とは、愛し合う二つの動物が、一緒に生きる事を示す印を持つにあたって、
財産や戸籍も共有する必要があるというだけで、財産や戸籍が第一の目的ではない。
つまり、お互いに愛し合っていないのに夫婦でいるという事実は、結果的に財産や戸籍目的に結婚するという行為を正当化するという事になるのではなかろうか。
それって犯罪だ。
だから、こういう問題って答えはシンプルなんだと思う。
あえてわざわざ議論する意味が分からない。
合理的に考える事を、情が無いと悪し様に言う人間がいるけれど、私はそうは思わない。
誰しも情はあるし、考える知能はある。
考える事を止めて、ただただ答えをよく分からないものへと変化させるのは、人間の悪い所だと思う。
いつも不思議に思う。
男の浮気はどうだとか、女の浮気がどうだとか。
どちらに責任があるとか、浮気するほうが悪いとか、される方が悪いとか。
一体何の話をしてるんだろうって思う。
例えば、私は一度も結婚も浮気もした事がないが、どちらかが浮気をしたとする。
それは確かに裏切りだ。性行為は、お互いの信頼を確認する作業だからだ。
お互いの恥ずかしい所を見せ合って、お互いの臓器に近い、弱い部分を触れ合って、
そうしてお互いの弱点を晒しても決して傷つけない関係である事を肉体で確認しているんだと私は捉えている。
それを行う必要があるのは独身の時に伴侶を探す為。
結婚してからはお互いの関係を、気持ちの上ではなく物理的に確かめあう為。
それを、本来必要の無い他者と行う事は、伴侶に対しての裏切りであるのは私も同意見だ。
だがそこから先、男が、女が、浮気した側が、された側が、そんな議論は正直何の話だろうと疑問に思わざるを得ない。
どっちが悪いとか、どっちに責任があるとか、そういうのも何でそんな話するのかよく分からない。
夫婦二人で辿った道の一つであるのなら、まず、そこでどちらが悪いとか、そういう問題以前に、許せないなら別れるべきだと思う。
しかし、許して一緒に生きるなら、浮気したという事象に対して縛られるのではなく、それに対して傷ついたものの存在を二人で真摯に受け止めて、浮気した側も、された側も、どちらかがどちらかを罰するとかではなく、二度とそんな悲しい事が二人の間で起こらないように、二人で何をすべきか寄り添って一緒に考えるべきなんだと思う。
だって罰を与えればすっきりして忘れるという単純なものではないからだ。
必要なのは、共に立ち向かう意識や姿勢。二人の結束の強さだと思っている。
そこに男女の隔たりは要らないし、加害者や被害者の概念も無いのだと私は思う。
あるのは、ただただ二人の今後の人生だけであって、善も悪も、意味も価値も無い。
ただ、そうした結果、もう一度浮気が起こった場合は、問題の焦点を見直す必要がある。
もう、それは浮気ではない恐れがある。
伴侶に対して、そもそも本気ではないという事。
これは、いかなる理由があっても別れなくてはならない。
夫婦というのは、つがいである事の印だ。
人間風に綺麗にいうと、愛し合っている証だ。
愛しあっていないのにその証を付けるとなると、他の目的の為の証となってしまう。
財産の共有、戸籍の共有だろうか。
だが、本来結婚とは、愛し合う二つの動物が、一緒に生きる事を示す印を持つにあたって、
財産や戸籍も共有する必要があるというだけで、財産や戸籍が第一の目的ではない。
つまり、お互いに愛し合っていないのに夫婦でいるという事実は、結果的に財産や戸籍目的に結婚するという行為を正当化するという事になるのではなかろうか。
それって犯罪だ。
だから、こういう問題って答えはシンプルなんだと思う。
あえてわざわざ議論する意味が分からない。
合理的に考える事を、情が無いと悪し様に言う人間がいるけれど、私はそうは思わない。
誰しも情はあるし、考える知能はある。
考える事を止めて、ただただ答えをよく分からないものへと変化させるのは、人間の悪い所だと思う。