日曜日の朝。
今日もとても寒く、また寒いけど雪が降らない、青空すぎるほど天気が良い、という謎な天気。
下の子はサッカー練習
上の子は勉強
ヨメ様は買い物
わたしは地区の図書当番
ということで、それぞれ朝から活動。
地区の図書館。
コロナ禍の中、地区の中で本を借りて読める施設はとても貴重な存在には違いないですが、当番はツラい。
まず、寒い。
そして、人が来ない。
火事等も怖いので、置いては頂いておりますが、暖房をつけずに当番をすることにしました。
上下のジャンバーを着込み、スキーウェアのような出で立ちでの、当番。

地区の図書館は結構、由緒ある建物でして、明治時代の地域の学校の学舎を遺したものを改築して使っている格好です。
この地域の人たちは、昔から学ぶことが好きだったみたいな傾向は、小さいときからわたしは感じていて。

わたしは大して、学は収まりませんでしたが・・・。
子どもたちとかには、そういう流れは汲んでいってもらえたらな、と思います。
本日の読書タイムは、こちらで置いてある手塚治虫先生の「どついたれ」という戦争前後の時代背景のもと、手塚治虫先生の独自な視点からみた描写で表した貴重な作品です。

戦争の頃にわたしが生きていたらどうしていただろうか、と少し考えてみて。
今の世の中も、実は戦争前後の時代とはあまり変化もないような気がしてきました。
日本のいいところ、悪いところって昔から連綿と続いてきたのだから、たかが何十年のスパンでは変えようもないのかもしれません。

もうちょい、読みたいところの未完で終わっています。
続いて、聖書物語というANIMEがありましたが、それの書籍版を拝読。

聖書の概念、あまりわかっていたようでわかっていなかったんですが、改めて読むと、とてもわかり易かったです。
生まれ持って自宅が仏教と日本神教だから、ということで宗教に関しては終わり、ということではなく。
宗教においてもいろんな考えを知ることは、自分以外の心の成り立ちを深く知ることの根本に繋がる気がします。
紛争や戦争、諍いごとの原点のおおくは、考え方の違いからなのでしょうから、そういう部分を補える勉強を、これからの人生ではしていけたらいいな、と思います。
読書させていただき、お一組の貸し出しを行い、寒い中での図書当番は終了しました。
冷えた、身体が。
ホットの缶コーヒーを買って帰り、自宅で一息。
上の子は、受験に対しての大事な作業ができて一安心していて、そのうち下の子がヨメ様に連れられ、サッカーから帰ってきて。
「回転寿司に行きたい」
という下の子とわたしをなだめる格好で、お昼は最寄りスーパープラントさんで買わせていただいたお寿司になりました。

ごちそうさまでした。
明日は、わたしと上の子は留守番、下の子とヨメ様はサッカーのため、県内を南下します。
コロナ感染、スポーツ活動も心配ですが・・・行くなと言っても行くでしょうし、確認しても指導者の方が考えているだろう、だけの返事なのでわたしはそれ以上はツッコまないようにしています。
わたしも商売で人と会うし、他所にも行くから、それ以上も言えませんし。
結局
新型コロナで怖いのは、家族であろうが他人であろうが知人であろうが、そのコミュニケーションの中で、色んな考え方の違いが浮き彫りになること、だと思うのです。
そこでは
いろんな考え方があり、当然違いもあり、正しいことも、間違っていることも玉石混合な訳です。
そんな中で
相手に間違っているということを伝えること、自分が正しいということを伝えること、をみんなが繰り返すわけですが、それは実はそんなには有効なことでないと思っています。
とにかく、そんなことではもめない。
そこで揉めていたら、それこそが今回の新型コロナウイルスの思うツボなのではないかと思うからです。
色んな考え方を認め、違いも認めた上で、じゃあ今回はこうしようかと認め、その上で臨機応変に対応出来るかどうか?が大事なことだと思っています。
家族も、社会も、あらゆるコミュニケーションを分断させないことがまずは第一歩かな、と個人的には思っています。
もう、誰が悪いとか何のせいでこうなった、と言ってる場合でもないし。
頑張ります。