金曜日です。
昨晩は残業しませんでした。
そして
今夜も。
日中は、会社そのものをお休みにしていてもカレンダー上は平日ですから、留守番や来客応対などの必要もあります。
そのうえで夜も機織りをする、ということには流石にムリがあるかな、と思った訳であります。
本当は
無理してでも織ってしまう、自分の心に少し歯止めをかけたかった訳です。
機場で迎える夜は、機織りの音が響く中ではありますが、反面、心の中はとても静かで。
ネットからのニュースさえあまり見なければ、とても快適に世間から切り離されるのです。
悪いニュースが多すぎて、わたしはそこから逃げたくて、仕事に没頭していたのかもしれません。
高島ちぢみ商戦が不調の中、代わりに織っているダブルガーゼという布がマスクになり、他の用途も生み出していく中で、世間様の役にも立っていることも嬉しかったし、需要もあるし。
まだまだ注文はあるし、織らないといけないのは変わらないわけだけど。
少し会社全体、わたしも含めて、本当に休もう。
3月中旬から休めていない。
そのための時間づくりの為の7台稼働目標、だったことを忘れてはいけない。
5月は、少し冷静になろう。周りを見よう。
そんなことを思った日の夕日は赤かった。

何かなあ、毎日、色々ありすぎるからなあ。
朝、6時半過ぎに出勤。
寝たから快調そのもの。
ゴミ出し、ダンボール出しなどをして、その都度 倉庫内に入ったツバメを追うなどして、なかなか忙しい。
月初の倉庫は、反物と糸に溢れており。

本来は売れていたはずの布が、それはそれで残っている。
原糸も、撚糸された糸も、見込み違いでは済まない量を、確保しており。
それでも撚糸などは、下請けの皆さんに依頼してしまったものを引き取って、置いているスペースがある。

「いつもだったら必要になっていたから」
「例年だったらこの量くらいは」
そんな「いつも」や「例年通り」は、もう無いのかもしれない。

悲しいけれど。
そんなことを、たとえば、その可能性だけでも、少しだけでも、自覚して乗り越えないと、この危機は越えられない気がする。
もう、ひとつ時代が変わってしまった気がする。
奇しくも一年前に平成から令和になった今日、5月1日にそんなことを思ってしまった。
さて
午前中は、会社の雑用をしたあと、高島晒へ出向いたあとは、金融機関の方にいらしていただき、面談。
この連休中、毎日金融機関さんは窓口を開設されるなどして、応対されるそうです。この禍を乗り越えるだけの支援をしていただけるなら、結構なことだと思います。
個人的には、このわざわいには、被害者も加害者もないわけだから、相談される側の皆さんがコロナ疲れされていないかがとても心配です。
同様に、国や国会議員や知事や市長や中央の公務員や地方の公務員を責めたところで、彼らに(さらに事態を混乱させる・させた以外は)責任もないし、責めた側も虚しいだけなので、結局はその立場の方々が「やれる事をやる」に尽きるのではなかろうか、という考えに、わたしは終始します。
(ただ、私見ですが一般の方々の困り具合より、テレビで見る国会議員の皆さまや公務員の皆さまの方が、目先のことに「困ってなさそう」なのはなぜなんだろうとは思っていますが・・保障されている立場の違いなのか、貯蓄額なのか、はたして)
しかし、「人間同士が距離を保って接しなければいけない」という設定があるのが、今回のウイルス禍においては本当に嫌らしく、厳しいものだと感じます。
それは先述の「やれることをやる」ということも出来なくなるほど、人が人間たらしめる要素をズタボロに引き裂いてしまっているからです。
古来より人と人が触れ合うことで経済活動は成り立ってきましたし、IT産業が発展してきたことで、近年はeメールやウェブ通信などを利用した通信手段などで、同国内はもとより、世界各地の方々との、直接触れ合わないことでの経済活動も発展してきました。
(皮肉なもので、その通信分野でのたかがこの50年ほどの発展が今回のコロナ禍における経済活動の礎となっているあたり、神様はいると感じざるを得ませんが・・・)
ただ、直接触れ合わない、ネット上のやり取りに根ざした経済活動は、会おうと思えば「直接会える」という前提のもと、本来の「直接会える」行為の代替として、成り立ってきたものだと思うわけです。
「頻繁に会っていけない」
「密に遭ってはいけない」
「距離感を保て」
そのワードたちの、破壊力のあること!
その条件下で導かれる「人と会わない」という前提での経済活動は、やはり設定にムリがあるのです。
また、基本的に自分が既に「感染している立場」だと仮決めして、他人にはもちろん、あまつさえ家族にも接さなくてはいけないという過酷な設定に、また人々の、中でも人をもとより信頼しやすい日本人の心はヤられていきます。
自分以外誰も信じてはいけない、という、リアルなライアーゲームのような無理ゲーな訳ですから。
打開策は、キープ孤独。
それに耐える心を持つこと。
当地、滋賀や中でも極端に田舎のこの地、高島などの地方に来られている他府県ナンバーの皆様は、その耐える心を持つことを諦め、少し現実逃避されたかっただけなのだと思っています。
その行為を赦す心を持つこと、など人間力とも言える手段で、対応するしかないと思っています。
一度疑いかけた他人様を、もう一度、疑うことをしないで済む世の中にいつか戻すためにも、そう考えるしかない。
というわけで
人の根本的な活動と、心を分断させていく仕組みの巧妙なウイルス、それが今回の新型肺炎=新型コロナウイルスだと感じております。
そんな中で
自分が変わらず居られる場所を持つことは重要です。
それが少人数の家族なり職場なり、あるいは個の中で、孤に耐えられる場所でもいいと思います。
わたしにとっては、それは家族であり、会社であり、機場です。
金融機関の方と話し合ったあと、その融資の申込み手続きのため、市内今津の法務局や、市役所などをぐるぐる回り、帰社したら昼。
知らぬ間に始まっていた「持続化給付金」という給付金の申請に四苦八苦して、終わってから工場に入れたのが13時過ぎ。
しんどいのはわたしだけじゃなく、その間代わって現場に入ってくれていた会長、ということもある。
その会長にも負担をかけているな、と感じ。
そう思ったこの時点で、わたしは今日の夜までの織機稼働を諦めました。

少し整理して、今月は進めていこう。
要るもの要らないもの。
まずはそこ。

どうすれば乗り切れるのか、そんなことはいくら考えたってしようがないから、考えない。
その時々で、要るものと要らないものを2択で考えられるクセを付ける。
そこに対するスピードを増す。
考えること、行動すること。
その作業の連続・積み重ねが、きっと会社も、わたしも助けてくれるはず。
大丈夫、頑張れる。
14時過ぎ、ようやくお昼ごはん。
平和堂 あどがわ店内に本日、高島市安曇川のパン屋さんの名店・パンドールさんが店舗をオープンされました。
ヨメさんがそこに行って買ってくれていました。

貴重な、オープン日のパン!
とても美味しかったです。

見事な!この照り、このマヨ感。
マルエス〜パンドールへ受け継がれている見事な茶色、そして曲線。
そして2個目のこのコーヒーマーブルみたいなやつで、わたしのお腹はいっぱいになります。

木津くん、おめでとうございます。
この時期に頑張っているのは、本当に凄い。
わたしがうっかりしていて開店のお花とかは出せなかったけど、ヨメが今日、買いに行けて、これからまたたくさん買いに行きますと約束しているので、それで許してください。
胸いっぱいになるような感覚の、ごちそうさまでした。
食後、高島晒へ出向く。
休みの間の出荷要請に応えるべく、自社で加工反を持って、対応することを決意。

いただきます。
ごちそうさまでした。
こんな料理を作ってくれるヨメ、そして安寧を与えてくれる子どもたちに囲まれて、わたしは幸せだということを再確認しました。
わたしは幸せでいいのですが、コロナ禍においては、わたしが足掛け2ヶ月、仕事に没頭してきた反面、全く家のことを構っていなかったこともあり、また学校に行けない子どもたちの心身双方のケアなどのこともあり、ヨメをはじめとする家族のストレスも相当溜まっているものだと思います。
世間様のみんなが頑張っている、だから家族を褒めないでいいとは限らない。
家族にありがとう、と言える余裕と
自分が今こうしているのは、支えていてくれる家族が居るからだ、という当たり前のことへの気付き
そんなものが欠けていたと思う。
もう少し、周りを見る思いやりを持って生きていかないといけないし、それができないようでは、どれだけ世間に役立っていきたいという高邁なことを考えていても、わたしはカスでしかない。
せっかく生きていて、カスは嫌だ。
気持ちを入れ替えて、生まれ変わった感覚で、物事に臨もう。
今までと同じ環境で生きていきたいのなら、社会的な負荷を考えると、今まで以上に努力することがきっと必要になる。
それでも、努力してでも、人の倍以上にやれることをやって、違う人生を生きる覚悟でこれからは頑張っていこう。
そうしよう。