一応、明日の29日から社員さんには長いお休みに入ってもらうのですが。
わたしは、とりあえず ずっと出勤の予定でいたところ・・
もともとの地区のお祭りの日だった(中止になった)5月3日だけは、稼動を止めようということになりました。
やはり
神様が動かれる予定だったときに、織るのは不謹慎だということに、会長の頭の中ではなったものか?それとも巻き寿司、鯖寿司、が食卓に並び、日本酒が昼間から飲める一日を癒やしとして求めたものか?
わかりませんが、やはり年長者の意見は聞くべきなのでしょう。
で、その日以外は基本的に、納期のあるものを追い掛けます。
本日は、休みの間に織るべく、そして休み明けに繋ぐべく、指図していた経糸が早速!?
上がってきたところの驚愕のシーンからです。

速い。
指図した経糸が、早めに上がってくることは一見、とても喜ばしいことですが。
裏を返せば、今までなら指図してから数週間の納期ができていたものが、一週間で出来てしまっている、ということになります。
これは他ならない、産地の中で仕事が薄くなっていることを意味しており、実際に弊社の中でも、ダブルガーゼ規格以外のものが動きがいいのか?と自問すると、結果としてそうではない、イコール、とても厳しい現状なのだなと実感する、という流れになってしまいます。
どうすればいいのか?
そう考えても結局は、最近ずっと考えている
「やれることをやる」
しかない訳で。
動きの悪いものを止める。
動きのいいものを追いかける。
それしかないし、来月以降はそれをより一層強めていかないといけないのかな、と考えています。
商社や問屋などの既存の得意先の人と一緒に悩み、考え、事後策を検討していくことはもちろん言うまでもなく、スゴく凄く大事なことですが、すべての答えはその中にあるともわたしは思っていません。
期せずして訪れただけであって、今後の機屋としての姿勢を、きちんと示していく機会なのではないかという一種の「開き直り策」をわたしは掲げていて。
ある程度以上のビジョンを持って、それに従わなくても構いませんが、進むべき方向を目指し、す早く動けたところが進んだあり方や方向こそが、やっぱり、正解なき中の正解なのではないかと思っています。
他人様のマネをして生き残れるほど甘くないのだろうな、ということはヒシヒシと感じています。
ということで、コロナ禍中の今は、とにかく耐え忍び。その中でコロナ後を含めた今後の「あり方探し」を併行する時期。
そこには
業界の流れ、自社の流れを予測する能力が必要になりますが、当たり前ですが当然、資金力も要ると思っています。
ですが、75年前の第二次大戦後の混乱期を乗り切った会社や、日本そのものが全てが資金力があったとは思えません。
そこには、持てる知恵を結集し、将来的に必要になる仕事や考え方のイメージをしながらも、目の前の貧困を克服するために、腹を満たすため、飯を食べていくための当座の仕事を確保した上で、その場を乗り切ってきて、戦後の発展を見事に成し遂げた昭和の先人の経験や、そこから示されるヒントがあるはずです。
(他の時代がよきなら、別に戦国時代でも、明治維新の頃でも構いません。)
話が逸れました。
とにかくヒントはどこかに落ちています。
少なくともわたしはそう思っています。
例えば我が家、ウチの会社の場合
戦争から帰ってきた祖父が、それまでの勤めをやめ、昭和30年にウチの会社を創業したのは、やはり布を織って供することがその時に出来得る、「儲かる事業」だからと解釈したからではなかったか?
(実際はそんなに・・だったようですが)
時代が違う、とか昔の話やから、参考にならないということはあまりわたしは気にしていないのです。
恐らく、今のコロナ禍での日本も、第二次大戦後前後の日本も、そんなにたいして変わらなかったのではないか、というのが持論です。
むしろ
携帯電話やファクス、パソコンなどのスっゴイ ギアが無かった昔の時代の方がリスペクトされるべきではなかったか?とさえ思っています。
織る機械、織機に関してもそれは同様。
昔の機械が3日から4日で織るくらいの長さを、今の機械なら一日で織れます。
たぶん
今の時代にないのは、考え方や工夫なのだと思います。
早く、たくさん織れるようになったから何なのか?
その果て、結果のことを想定していないのにスピードアップだけさせても駄目だったんじゃないかと思うんです。
その時代に合ったもの。











それは
量なのか、速さなのか、質なのか、はたまた違う概念なのか。
それが欠けていたら、発展するものもしないし、逆に不要にだってなる可能性もある。
わたしが探しているのは、次のそのなにか、違う新しい概念です。

まあ
自分の中では
答えはほぼ、出てるんですけど。

それをこれから、稚拙ながら自社の経営で実証しながら、未来や将来に向けて本当の意味の「持続可能な世の中」で「持続できる会社」を目指します。
偉そうなこと書いてますが・・
結局そうするしかないから、というのを回りくどく書いただけの文章です。
悩んで、もがいて、やります。
それだけ。
さて(前置き長い)
午前中、出荷の準備をして。

なかなか厳しい状況で。
ガーゼなどに使う、生糸と言われる無加工の原糸使いの織物が出る一方で、全く「撚糸物」と言われる追撚加工のあるものの糸ストックは減りません。
生地は幾ばくか、確かに出てはいますが、補充して織る必要がないのです。
そこまで出荷がないので。

また、当然そうなると織ってないから、です。
今までは、それを敢えて織っていたようなことが見受けられますが、それをするともう、将来も数字も何も読めなくなります。
我慢、なのです。
お昼は工場で機織り。
昼ごはん、赤いきつねとおにぎり。

ごちそうさまでした。
今日も風は強いけど、良い天気!

月末の作業を事務所で一通り終え、高島晒へ向かいます。
オーガニックコットン使い、ボタニカル染めの織物があるのですが・・。
それを使って、縫製品を作ろうと思います。

それの依頼や、加工反の出荷の依頼、そして加工指図。
などなど、やることがたくさんあった月末近い日となりました。
風は強いけど。

いい天気だ。
これだけ見てると・・。
コロナなんて、ないみたいだけどな。

もう、コロナがなかった頃には戻れないんだろうな。
アフターコロナ・AC・コロナ後。
なんと呼ばれるのだろうか?西暦は変わるのだろうか?
布の世界で言えば多分、今以上にマスクはひとつのマナーのアイテムになる。
他の防御のアイテムが増える。
そこには、トライしていくしかない。
そして
抗菌、抗ウイルスがキーワードになる。
布にはファッション性が少し失われ、今までよりは頑健さが求められる。
古来、日本で培われてきた伝統的な穢を清める考えや、晒布を尊ぶ考え方が、理由付けのもと、復活するかもしれない。
世界的な難事を乗り越え、国難を乗り越えた中で、わたしたちの晒布や高島ちぢみが必要となる世の中を描いていき、それに向けて行動していくことがわたしのライフワークになるかもしれない。
祖父がこの仕事を始めたのは、創業してから65年後、孫のわたしに、この困難を乗り切る機会を与えるためだったのかも・・
と、妄想がてら変な感じに解釈して、そのまま乗り越えようと思います。
これからはとにかく、予期せぬ・また、予想なき・前例なきビジョンを描いていき、アクションを実行したものが勝ちだと思うからです。
いや
勝ちというか・・
それをしてようやく、残る事ができる、といいますか。
中途半端な生存願望では、維持すらできない気がする。
それくらい、今回は大きく、違う感覚を覚えています。
高島晒から帰社、そのまま夕方まで事務所で月末作業。
そして一旦帰宅、夕食。
今日も作ってもらったヨメに、子どもたちと感謝して、いただきます。

子どもたち、夕食のメニューが毎日楽しみで生きてるそう。
不憫で泣けてくる。
学校は、もう9月から、新学年の一学期スタートでいいです。
中途半端な再開とか、また中断とか、そんなことに一喜一憂しててはいけない。
それに、今の世の中で子どもたちに学校へ通わせてはいけない。
わたしは、9月新年度、7月か6月に卒業式。
生まれ月の問題がありますが、それはスライドさせず、今までどおり4月2日生まれから、翌年4月1日生まれの方々までが1学年単位でいいと思います。
各種イベントの混乱は必至ですが、今のまま行ったってどっちみち混乱しているでしょうし、大差ありません。
それを決めてから
・失われた三学期の復習
・スポーツイベントの時期確定
・浪人生への配慮
などなど、ようやく決められる気がしますから。
みんな痛むから、皆んなで共有できる。
そんなことを子どもたちに提案しつつ、おかずの鶏肉をいただきました。

美味しい。
こちら、動かす方。
こちら、動かさない方。
全部にビニールを掛けました。
ではあと少し頑張ります。
おやすみなさい。