2020年3月31日、火曜日・月末・年度末。 | 滋賀・高島の機屋・サダ杉岡のブログ

滋賀・高島の機屋・サダ杉岡のブログ

滋賀の高島という地域で機屋をしている今年53歳の男のブログです。
仕事のこと・家族のこと・日々の日常で感じたことなどを綴っております。
大したことは書いておりませんが、それでもよろしければご覧ください。

我が社は3月期が決算なので、本日の月末日が期末日となっています。

 
色々と頑張ったのですが、数字的にあまり芳しい期ではなかったです。


会社的には、高島ちぢみの需要を作りきれなかったこと、供給過多になったこと、を反省。


そして


個人的にはやることがあまりに多く、そしていろんなことがありすぎたのだと思います。


そちらの面でも、もちろん反省。



そんな期末日を、バタバタと送る中で。


タイムポケットのような時間が出来ましたので、夕方、ふと家族を連れて高島市マキノの海津大崎の桜を見に行かせていただきました。



(写真、上の子・・ブレていてすみません。)



今年のお花見は、ドライブ花見だな。


そんな一日。


昨晩の残業は、26時までということで。2時ですね。


たくさん織れたので、なんとか目標数値をクリアできて、明日午後からの予定していた出荷数に満ちることが出来そうです。


機織りはとにかく逆算が多い世界なので、一日で目標のメーターにいかない時はじゃあどこまで織るのだ?というイメージを持っていることが多いです。


他にも

例えば、ひと規格に何千本ものタテ糸を通して、そのタテ糸にヨコ糸を打ち込む、という形で織り上げるのですが。


その仕掛け品の準備にしても、織るための配置にしても、どうやったら楽に出来るか?をイメージして規格替えなどをします。


感覚的に、どの工程でも省いて、省いて、無駄のない形を求めたりします。


それは、いわゆる手を抜くということではなくて、無駄のないシンプルな形の方が、より織物としては美しいというか、そんな感覚があるからだと思っています。


ごちゃごちゃした中に、長い間培われた織りの技術はあまり存在していないのではなかろうか、とさえ思っています。


革新織機と言う呼び名の織機になってからは、少しそのシンプル化は度が過ぎているのかもしれませんが・・それでも、わたしは機織りというものを美しいものだと考えています。


タテ糸とヨコ糸を交差させて、いろんな組織を使って、無限の可能性を生み出し、出来た布が誰かの役に立つ、というのは本当に良い仕事だと思います。


そんなことを思いつつ、工場での残業を終えて、寝て、起きて。


今日は珍しく、目が覚めずに長く寝られました。


=ちょっと寝すぎてしまいました。すみません。


8時過ぎ、出勤。


月末・年度末の業務をこなす。


高島晒に用事がてら、年度末の数字合わせも兼ねて伺う。


こちらはこちらで、帳面合わせで忙しそうです。


そんなわけで、インスタの撮影やマスク関係など、他の用事もこなしつつ、わたしは午前中、高島晒と会社とを往復。


お昼前、会社に帰ってきたら原糸が届いていました。


20オーガニックコットン糸。


さて、何を織ろうか。


考えよう。


お昼の間も、伝票を打つ必要があり、現場には入れませんでした。


(急に出荷オーダーも来たりして、ちょっとしたパニックみたいな時間帯がありました。忙しいのはいいことなので、割り切って楽しんでみましたけど。)


さすが年度末だなあ、と感心しました。


13時過ぎ、お昼ごはん。


「神田まつや」さんの鴨南蛮そば。


これはうまい。


わたしは極端なそば好き・・ではないのですが、そばを食べるなら、ざる蕎麦、コロッケそば、そしてこの鴨南蛮そばは、うどんでは出せないそばの良さがある食べ方だと考えています。


インスタント麺の再現性は、生麺以外はうどんよりはそばのほうが分があると考えていて。


今日のは美味しかった。


ごちそうさまでした。


お昼過ぎ、用事が片付いたので、ようやく現場に入れました。


機織りしながら、いろいろと考えをしていまして。



 
これからのこと、4月から始まる来年度のこと、などなどを考えると少し暗澹たる予感をしましたが。


電力の使い過ぎを知らせるデマンドオーバーのパトランプが付きました。


わたしはこれはいらないのでは?


と思っています。


これが点灯したときは、すでに電力的にはオーバー気味だからで、またこれが点いたからといって、コンプレッサーや織機など、電力消費が高いものをすぐに停めるわけにもいかないし、また停めたとしてもすぐに反映されるものではないからです。


こういう、要らないものを買ってまでつけてしまうのは、会長の特徴です。


だいたい


こんなもの無くても、4月からは稼働などを絞るのに・・また絞らないといけないのに。すぐに全台、一気に動かしてしまう悪癖に気づき、自身で管理すれば良いことです。


「機屋は織機を動かしてナンボ」


だという言葉もありますが、それはあくまで、昭和30年代後半から昭和50年代までの、織ったものがすべて出ていくという条件のときだけだと思います。


何を、どう織って、どうやって売るのか?


それらの質問に答えられない、その織物に作る意味はあるのか?


というところまで考えて、織らないといけない時代になってきたと思います。


残念なのですが、これは事実だと思っています。


夕方、夜勤に備えて一旦帰宅。


昨日、まことしやかに首都の方に住む方々から、わたしにまで流れてきた「今週半ばからの首都封鎖」はデマだったんだな。



アカン、この国。


関東大震災の頃から、第二次世界大戦のときから、あんまり中身が変わっていない。


どの国でもデマは付き物だと思いますが、普段はクールに装っている首都の人たちがこうなってどうなる?!


嘆かわしいぞ、日本。


そんなことを思っていたら、どうしても家族と桜を見たくなり。


出掛ける。


雨が降る前、夕方の早咲きの桜の青さ、若さを堪能しました。


(いずれも撮影は、上の子と下の子です)


今年の桜は、ランダムというか。


咲いているものは咲いている、そうでないものはまだ。



そして、赤い。


そんな感じ。


冬の寒さが緩かったり、寒暖のリズムがおかしかったり。


訳のわからない疫病も流行りつつあり、人間の体調管理もなかなか大変なわけですが、桜の方も大変だったのかな。


世相が乱れている、どうしてもそれと結びつけがちですけど、関係ない(と思いたい・・)。



とりあえず、堪能して。


帰宅。



夕食、ヨメ様の手早い技により、牛丼が出てきました。


嬉しい。


自家製生姜を載せます。


いただきます。




おいしかった。


ごちそうさまでした。


子どもたちと風呂に入り、桜のことで会話して、早く学校がはじまるといいね、なんて話しをして。


髪の濡れや、身体の湯冷めなどが起きないことを確認してから、夜勤へ。


さて、開始。


気になるのは、代わる前に織っていた会長、余分な台を織っていた?


なぜなんだ。


またまた、言うことを全く聞かないなあ。困った。


「(織機の圧を作り出す機械の)コンプレッサーをこれだけ動かしているから、逆算してこれだけを動かしたい。」


という発想で動かしているなら、本当に残念です。


(生地を買ってくれるための意識の順番はそこじゃないから。)


あくまで人様が、何らかの理由があって必要だ、という定義がないといけないと思うんです。


本当に、言うことを聞いてくれないなあ。


不要な織機を停め、失意のまま、残業開始。

 
今日はちょっと雨だけど、調子は悪くない?



二重ガーゼ(ダブルガーゼ)の引き合いがすごいので、まず一台増やします。


かかっていた規格を一旦おろし、他の規格からヘルドやドロッパなどを補充して、また台に戻す、という・・。


やりにくい作業を、してもらっていて大感謝。


接結部分の綜絖(ヘルド)を枠に入れ込む作業も、無事にしてもらえました。


ありがとうございます。


次は筬通し、タテ(糸)繋ぎ、つなぎ目を前に持ってくる「引っ越し」という作業をして、ヨコ糸を司るフィーダーの測長と言われる部分を整備して。


まだまだ、工程が多くて時間も掛かりそうですが、仕事を頂いている有り難さで乗り切りたいですし、社員の皆さんにも乗り切ってもらいたいものです。





頑張ろう。


ではあと数時間、頑張ります。


2020年期も、杉岡織布をよろしくお願いいたします。


おやすみなさい。