2019年1月18日、会議・会議・機織り。 | 滋賀・高島の機屋・サダ杉岡のブログ

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滋賀の高島という地域で機屋をしている今年53歳の男のブログです。
仕事のこと・家族のこと・日々の日常で感じたことなどを綴っております。
大したことは書いておりませんが、それでもよろしければご覧ください。

金曜日の今日は、会議参加等に明け暮れました。


会議の中で、高島市の有名なお菓子やさんの「とも栄」さんの新しいお菓子をいただきました。



とも栄さんの中で、「73」(ナナサン)という名前の新しいブランドを作り、この中で「MIO」という名で七角形のお菓子を作られたそうです。


午後からの、滋賀県繊維協会の総会後の懇談会の中でいただくことになりました。


ごちそうさまでした。


そんな日。


朝食、ごちそうさまでした。


午前中、ゴミ出し。


それから機場に入って、事務所へ戻り、9時過ぎからご来客への応対を開始。


10時から会議、遅れ気味に参加。


高島織物組合で、産地の展示会についての最終会議となりました。


11時半、午後からの会議の荷物を高島晒へと運び込み。


帰社。


一反帰宅して、昼食。


ごちそうさまでした。


それから高島市民病院へお見舞いに行き、再度、高島晒へ。


滋賀県の繊維産地の理事長さん方が集まる、滋賀県繊維協会という団体の総会を午前中に終えたあと、昼食。


午後からは高島晒を見学していただき、それからは、各産地の現況報告などをされるとのことで、わたしはその「報告」のため、午後から参加を致しました。


あまり、要を得ていませんが。


会議の合間に、製品を飾り、皆さんに見てもらいます。




滋賀県には、概して長浜の濱ちりめんといわれるシルクの産地、近江ちぢみ・湖東の麻の産地、そして帆布や産業資材・高島ちぢみの高島産地、計3つの織物産地があります。



その方々が集まるなかで、冒頭の「とも栄」さんのお菓子をご紹介いただいたということです。


きちんとしたパンフレットもあります。




アドベリーを使われたお菓子の味は、爽やかに甘く、ゼリーを食べたような不思議な食感。


そのお菓子の大きさ以上に味は口の中を拡がり、存在感を見せます。


そのお菓子を作ったのが、若い後継者の西沢勝仁さん。


まだ30歳過ぎとお若い、斬新なお菓子を作られる担い手です。


こういう発想を、わたしたち繊維関係の人間も、持っていないといけませんね。


ごちそうさまでした。


今回の会議では、8月から就任された由布副知事にもお越しいただき、一日を高島で、滋賀県の繊維のことに費やしていただいたということになり。



なかなか無い機会なので、設営された滋賀県東北部工業技術センターの皆さん、臨席された県職員の方々には、とても気合いが入っていた理由がわかりました。


もちろん


わたしたち事業者はさらに、滅多に無い機会を生かすべく、現況報告などを頑張ってさせていただきました。


湖東の現状、高島の現状、長浜の現状、等々をそれぞれの理事長からお伝えさせていただき。



(濃厚すぎるほど、高島の「高島ちぢみ」の苦境ぶりを伝える駒田、川島両理事長・・そんなに苦しいことを苦しそうに伝えたら引かれるのでは?とわたしは心配になるほど)


それらに関して、知事はフレキシブルに意見を仰っていただきました。




わたしたち、若手からも意見と現況をお伝えしました。


高島晒、平山くんから。



続いて


マスダ社の、マスダ専務から。


市場開発、製品開発、自社のテーマなど。


工夫して、自分達ができることをきちんとしていく姿勢をお伝えできたように思えます。


無い袖は振れません。


だからやるべきことを見極め、絞りこみ、大量生産時代の「あとの時代」の処世術を考えていることをお伝えできたように思えます。


理事長世代が苦しい、と思っていても、下を向いてもいいことがあるわけではないので、上を向き、前に歩いていかないといけないのだと、強く感じます。


帰社。


17時半から現場へ。


機織りをしながら。


明日撤去する予定の、最後の「日産社製のエアージェット織機」を掃除しました。


エアーをかけ、埃を落とし。


布で拭き、撫でてみます。


いままでありがとう、そんな気持ちです。


これからどうなるのかはわからないけど、ウチの会社とわたしは前へ進むだけ。


お疲れさまでした。


帰宅。


夕食はハヤシライスでした。





ごちそうさまでした。


久しぶりに、「滋賀づくり」をいただきたい気分になりました。





ごちそうさまでした。


毎日、なにかと忙しいですが。


頑張って過ごしたいと思います。