明日、下の子が9才になります。
先週水曜日、上の子が13才になりました。
それらを兼ねて今夜。
市内のアレルギーケーキの先駆者であるFamille(ふぁみーゆ・ファミーユ)さんで予約していたケーキに入刀をさせていただきました。

我が家にとって馴染みの深い、豆腐クリームのケーキの味に、ヨメが「わたしが作ってきたケーキの味とやり方で正解やったんや、よかった。」とポツリと漏らした台詞。
互いが互いをおもいやり、その結果が奇跡的に正解を導く。
これからの人類の存続の鍵のようなヒントを見た気がしました。
そんな一日。
朝は6時に目覚ました。
もう少し寝たかったのですが、子どもたちがキャッキャ言ってるのに、寝られるわけがなく。
朝食。

梅干し、味噌汁、玄米ご飯。
そしてなぜかレバー。
ごちそうさまでした。
午前中、うとうとしながら、同じく留守番の上の子と話しをしながら、時間を過ごします。
こういう時間が、わたしの癒し。
これがあるから、仕事を頑張れる気がします。
昼食。
無理を言って、赤いきつねを作ってもらいました。

カレーライスとともに。

赤い星が、先週の上の子の誕生日の名残。
わたしがいなかったのは、親として痛恨です。
赤い星のあと、赤いきつね。

実はわたし、大卒後の4年ほど、愛知県の機屋さんで仕事をしていて。
名球会に居られることはスゴいことですけど、それ以前に山本昌(広)さんはレジェンドなんです。
わたし自身、神奈川県にすんでいたこともありまして。
茅ヶ崎のご出身で、なおかつ愛知県のチームにおられた昌さんには、親近感を勝手に抱いていました。
(顔が似ている、ということもよく言われたりします。あと三代目魚武濱田成夫さん、レイザーラモンRGとも似ているので他人と思えない)
楽しみにしていた講演会。
トラブルがあったら国に帰れなかった日程なので、敢えて申し込まなかったのですが、昨日、青年会議所の後輩の人たちに聞いたら、「空きがあります」とのこと。
名球会に所属している人の講演会が、無料で、高島市内で聞ける!
そんなチャンスは滅多にない。
一流の人の話は、どのみちでも繋がる何かが、必ず、そこにあるはず。
なので
本当はうちの子達と来たかった。
でも、上の子は「恥ずかしいから」となぞの理由でお断りに。
こういうことなんだろう。
機会を逃すということは。
我が子であっても、首に縄を連れて来れない時代。
半分喜び、半分忸怩たる思いで、講演をお聞きすることにします。
高島市民の方々より、よそのまちからの一般市民の方が多かった気がしました。







よその方の方が、このイベントの魅力をわかってらっしゃる。
高島市の良いところも、きっと同じようによその方のほうがご存じなのでしょう。
こういう「良い」イベントを発信できていないこと
こういう「機会」を逃すこと
こういう「現状」がまさに今の高島なのだろうと思います。
確かに忙しい時期です。稲刈りも終わり、農業的には一服の時期。法事もあるし、秋ならではのスポーツのイベント、文化的なイベントもたくさんあります。
(食だって美味しい。)
そのことに、大事な教えをいただける機会が負けてしまう。
それが今の高島。
見ていてツラいけど、こういうことを受け止めた上で、まちづくりをしていくしかありません。
個人的に、おそらくミヅホ工芸さんの作品だろうと思われる、イベント看板がツボでした。

ナゴヤ球場時代。
堅田高校出身・都裕次郎投手が在籍していたときのデザインである、水色に近い青と、赤が使われているデザインが美しい。
グッジョブです!
進行、岡本顕典くん。

うまく進行されていて、ハラハラはしましたが、よかった。
杉橋理事長に代わり、松本副理事長が登壇され、会を代表して挨拶されました。

高島青年会議所が50年を迎えたこと。
それでこういう事業ができること。
高島青年会議所はこんな組織だ、ということ。
若い力が集まって、細々と活動していること。
松本くんは、いつでも本当にきちんと伝えようとしています。
その辺りが、今までの理事長が出来なかったこと。また、しなくてもよかったことをせざるを得なかった事情があるにせよ、すべてをかぶり、やってくれている、ということに、素直に感銘を受けました。
他のメンバーさん方も、懸命に動いている。
感銘しました。もっともっと、協力しないといけませんね。
講演会の様子は、撮影NGなので、写真はありませんが。
素晴らしい話をしていただきました。
山本昌さんは言いました。
「プロ入りしてすぐのキャンプ。当時主力の小松辰夫選手、鈴木孝政選手などの投球を見ていて、無理だと思った。」と。
その結果、数年を経て、自分にあった変化球を見つけ、それを活かして成績を残せるようになったと。
その土台を作ったのは、日々の努力だと。
・補欠の状態が続いた中学校二年の自分は、ある日、夜寝る前のランニングを始め、それをずっと続けた
・すると三年の引退前の大会で投げる機会ができて、好投することができた
・高校のときは、打ち込まれた試合のあとで、先輩の誘いで、学校に早く行って走ることを始めた
・その結果、二年のとき、先輩の投手と揃って好投が出来たが、最後は自分のせいで負けてしまい、悔いが残った
・結果として、そのランニングなどを続けて培った力が、今の自分を支えているのでは、と考えている
というような、私たちの知らないような話ばかり(ほかにもたくさん)をしていただき、同時に、子どもたちにも非常にためになる機会となった気がします。
これ以上書くと、良くないのでこの辺で。
すべてにおいて、野球の話だと思って聞くも良し、人生そのものだと思ってさらに深く意味合いを探すもよし。
良いお話でしたし、帰って子どもたちに聞かせようと思います。
山本昌氏、ありがとうございました。

青年会議所の皆さん、とにかくお疲れさまでした。
これからも、こういう活動を続けていって欲しいです。
その事自体が、貴重な資産になるはずです。
まちにとっても、ひとにとっても。
今は実りが見えなくても、そのうち結実すると思います。
駐車場で、同級生の伊妻さんに会ったので、彼女が当たったサインボールを記念に撮らせてもらいました。

「名球会」という字が美しい。
拝見させていただき、ありがとうございました。
一息。
それから、昼寝。