2016年5月27日、金曜日。 | 滋賀・高島の機屋・サダ杉岡のブログ

滋賀・高島の機屋・サダ杉岡のブログ

滋賀の高島という地域で機屋をしている今年53歳の男のブログです。
仕事のこと・家族のこと・日々の日常で感じたことなどを綴っております。
大したことは書いておりませんが、それでもよろしければご覧ください。

金曜日の朝。


上の子は、元気にフローティングスクールに旅立っていきました。


し過ぎるくらい、すごく楽しみにしているようで、ここ数日はずっと笑顔と緊張感とで、高揚しているようです。


家族との別れを大袈裟に惜しみつつ(わずか一泊なのに)、出ていきました。







その顔は少したくましくも見え、また眩しくも見えました。


子どもから少年へ、変わりつつある時期なのかもしれません。


一方、別れを寂しがる下の子(一泊なのに)は、なかなか準備がはかどらず、どこか元気がありません。




生まれてからずっと兄の存在があり、弟として育ってきたので、少しでもいないととても寂しいらしいです。


それが兄弟というものなのでしょう。


傍らでみつつ、出社して、業務をはじめました。


午前中から、倉庫などを片付けました。


お昼は、工場の機織りをして過ごしましたが、午後一番からは「ものづくり補助金」の監査に、滋賀県の中央会の方たちにお越しいただきました。


商況や現況のヒアリングから始まり、機械設備、原材料の確認などをしていただきました。





無事に、なんとか監査していただけました。


有り難う御座いました。


色々と考え、勉強した上ではありますが、助成金、補助金の類いをわが社でもいただけるようになりつつあります。


以前は、「こんな小さな会社に補助金なんかもらえないだろう」という「諦め」の気持ちで、色んなことに臨んでいた部分があります。


そういう「諦め」をしなくなったのは、経営を任され、会社の将来を真剣に考え始めたことがきっかけだったと思います。


それまでのわたしは・・


機屋という古い世界の、独自性や閉鎖性などを言い訳にして、会社としての魅力や将来性などを、客観的に数値に置き換えることなどは全くしていませんでしたし、それはおろか現実や現状から目を背けていました。


毎日毎日、おなじことをしていればよい、という会長=親父さんの考えに逆らいながらも何も果たしえず、煩悶することが多かったように思えます。


5年前くらいから力をいれ始めた縫製品販売事業や、その事をきっかけとして開始した助成金、補助金での開発事業は、そんなわたしや、会社の現状を変えてくれた契機であり、存在だったと思っています。


本当に、その仕組みには感謝しています。


ですが、申請を含め、楽をしてもらえる、というようなものは一切無い、と断言できます。


助成金、補助金事業が有り難い、と思うのは、単にお金だけのことではありません。


実は、その中に書かれている申請内容が経営計画として、第三者の方に読んでいただけることがとても大事だったり、申請を通して金融機関や他の方と話し合う機会が増えるのが重要なことだと思っています。


会社にとって、貴重な考えや計画は、経営者の頭のなかに眠らせることは、とても勿体ないことです。


それらは他の方に見ていただくことで実現に近づきます。


その「実現」の数が多くなればなるほど、会社にとっての魅力や存在意義が増すのだとわたしは思っています。


そのために


弊社みたいに裕福ではない会社では、使えるものは使わせていただき、会社の魅力を作り続けるために、その時々で必要で、なおかつ出来ることをこつこつとしていくことが肝要だとおもいます。





そういうわけで


大事な監査が終わり、夕方には現場に入り、夜まで機織りをしました。


お疲れさまでした。


工場を停めてから事務局やに入り、先日来不具合の続くスマホの対策をしました。





microSDの中身が多すぎるのか、整理が必要なようです。


発熱、充電が進まない、バッテリーがすぐ減る、という症状は少しましになってきましたが、油断はできません。


帰宅して、夕食のカレーを食べました。





久しぶりの「Lee」20倍、辛かったです。


ごちそうさまでした。




添え物の筍、大根のゆかり美味しかったです。


20時半から始まった、上の子のフローティングスクールの写真公開を家族で揃って見て、上の子のことを思い遣りました。





明日、大きな経験をして、笑顔で、無事で帰ってきてほしいものです。


そして二日間で見たこと、したことなどを、たくさん話してほしいです。