「がんばらなアカンなあ」
と感じました。
特に何について、ということはないのですが、彼らが飯を食う限りは、親であるわたしには養う責任があると思うと、気と身が引き締まりました。

朝からの天気は、予報に反して小雨。


こういうときの機場は、少し湿気が出て織りやすい反面、経糸の「へばり切れ」のような症状がよく出ます。
朝から、そして夕方早めから、いずれも会長が出掛けてしまったのですが、わたしには来週の展示会のための準備の作業がそこそこあり、そこに通常の業務が重なり、何やかんやで忙しくしておりました。
生機出荷、電話機故障により業者問い合わせ、電話による商談、そしてこんな日に限っての急な来客が数件・・。
有り難いことなのですが、いっぺんにやって来られても、こちらの身はひとつです。

お昼を13時過ぎに食べ、そこでようやく会長が一旦帰宅したので、展示会のための作業をしました。

会社の情報を記した紙を、A3のカラー印刷で出して、半分のA4サイズにカットします。
費用の問題でそうするわけですが、それでも余所で印刷してもらっていた今までと比べれば、費用面のみならず、うちの会社にとっては革新的な技術の飛躍です。
午後からは、ようやく五月の晴れ間が広がりました。


夕方で機場の織機を停め、おつきあいのあった撚糸屋さんのお通夜に向かいました。
亡くなる数週間前まで、ウチの会社にこられて、会長と話したり、コーヒーを飲んだりしておられていましたので、いまだに亡くなられた実感はあまり、ありません。
個人的には
たくさんの弔問客で座りきれないほどではありましたが、それでもなぜか、産地の中では有数の、ルートを多く持たれる撚糸屋さんのお通夜としては、とても寂しいものに感じました。
が、それも繊維の「今」の状態の現れなのかも知れません。
繊維に関係のない仕事に就かれている息子さんと、その息子さんへの弔問客でほとんどの会場のなかで、最後の最後まで仕事では現役を貫かれた、撚糸屋さんの美事な最期に敬意を表しつつ・・。
さてわたしはどう生きるべきだろう、と思いながら会場を後にしたのでした。
どうぞ安らかにお眠りください。