【JC】勝手に滋賀ブロック大会を振り返る~その1。 | 滋賀・高島の機屋・サダ杉岡のブログ

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滋賀の高島という地域で機屋をしている今年53歳の男のブログです。
仕事のこと・家族のこと・日々の日常で感じたことなどを綴っております。
大したことは書いておりませんが、それでもよろしければご覧ください。

話は少し、長くなります。

2009年、専務理事をさせていただいた際、当時の理事長、現在は2直であり、敬愛する小崎真司君が「主管を取る」といった際には、どうかしてしまったのか、このオッサンは、と思ったことが昨日のことの様です。

以前にも書きましたが、私はブロック大会には当時、否定的でした(いや今も・・・かも)。正直、高島では出来る気がしなかったんですよね。

(以下、しばらく回想シーン。)

2006年の後期に入会した私が初めて参加し、拝見したのは、能登川JCさんの主管のブロック大会でした。今回の会場とはどこか似ていますが、それでもかなり大きなキャパの会場で開催され、立派なゲートボール場で懇親をされて驚いたという記憶があります。

2007年の彦根さん主管の大会も立派な会場で、隣のゴルフ場の芝の青さと、夜のボールを使用したアトラクションに参加したところ「全く見えなかった」思い出があります。駐車場のキャパ、会場の広さ、うらやましかったことを記憶しています。

2008年は野洲さん主管。駅そばの会場は当時、褒賞申請でもよく行く機会のある場所でした。そこからの懇親会の場所までの移動と、ムカデの火が印象的で、OBさんやご家族のもてなしが温かい大会でした。

2009年、長浜さん主管では、マンパワーあふれる雰囲気のなか、式典から懇親までの早変わりに驚いた、会場をはじめとするしつらえに、とにかく圧倒されていました。

昨年度は近江八幡さん。運営委員長として携わった高島のニュー・スーパーエース八田圭一朗くんのかかわりを拝見し、出向メンバーに代わり出席した運営委員会でのことを思うと、主管の大変さを感じながらも副理事長としてPRの壇上にあがらせていただいて、いろいろ考える大会でした。

こう思うと、結構ブロック大会に参加しています、私。


(回想シーンつづく。)

で、話は少し変わりますが近畿地区会員大会。こちらは2007年京丹後に当時の鳥居理事長と小崎委員長とで参加し、2008年の新宮では那智勝浦漁港では高島の味付けかしわを当時の大山B委員長などでブース出店しました(大山君は立派になりましたね・・)。2010年は才川理事長ごと行かれなかったので参加を割愛し(泉佐野JCさんスミマセン)、今年2011年度も、西宮さんで萩原B委員長を手伝いながら高島として味付けかしわを振る舞いました。


で、2009年、水口で近畿地区大会を主管された際、半自動的に県内の他LOMは副主管になり、当日は高島は栗東JCさんと、来賓が来られる駐車場の警備の任に当たりました。

朝5時前に高島を出て、当時のLOMの委員長と副委員長5名を伴い、言われた場所に向かい、そこから17時まで非常に暑い中、栗東さんと同じ場所で警備をしました。高島のメンバーには屋台を出すことを命じ、当日までに後便で来るためのバスを頼み、名物の若鶏の味付け焼きをふるまうため、食材を運搬する段取りをし、香辛料や紙皿や道具などを買い出し、併せてエプロンなどを用意しました。

夕方まで頑張って警備をして、LOMで焼き場をみる予定でした。


ですが、同エリアで役を解かれたのは栗東JCのメンバーさんだけでした。延長で19時までの警備が言い渡されました。他LOM全員のヘルプメンバーが警備を延長ならよかったのですが、その時間までで、とっくに任を解かれた方も多くいらっしゃったように見受けました。

言うと野暮になりますが・・・遠いところから車で、2時間、高速を使ってきた我々には、延長。

比較的近い他のLOMの方には、既に役を解く・・・。

何かの力関係でしょうか、それとも高島がそういうことに向いてるとされたのでしょうか、それとも私の力不足なのでしょうか。

委員長を連れてきた専務理事としてそのあたりが納得いかず、説明を求めた相手が、当時の根縫部会長、現ブロック大会運営委員長でした。

そしてそんな私をなだめ、怒ったらアカンと諭したLOMの唯一の委員長が、当時の渡部・新高島人委員長でした(ちなみに比較的冷ややかに見ていたのは、当時広報系委員長で、現・事業部会長の杉橋君でした)。

当時は納得いく返答は結局なく、当時の木村専務理事に納められ、ダチョウ倶楽部上島状態になった私が悪役となって収まりました。


警備のほうは、栗東さんのお力添えもあり、LOMの委員長は役を解かれ、私だけがそのあと1時間させて頂き、お役御免になりました。

当時、市民まつりの準備で明け暮れていた中での準備と出役で、精神的にもふらふらでした。


しかしその後、たかしまの「味付けかしわ」のブースは並み居る近畿地区ブールの中でひときわの輝きを見せ、行列に次ぐ行列で、2時間ほどで40kgが瞬く間に売り切れました。最終的に、具材をどこかから理事長自らが仕入れ、焼きそばを焼いて売る始末・・・。

終わった後のあいさつも盛り上がり、楽しく、20人以上が参加させて頂いた高島のLOMが最高に盛り上がった瞬間です。

その時の感触で、私は「主管、ひょっとしたらできるかも・・・」と思いました。

(一旦、回想終わり。)


その盛り上がった09年の記憶。

その年の「高島のうた」事業が昨年度の褒賞グランプリを頂いたことは、そういった雰囲気も関係していたのかもしれません。

ただ、ねぬー君となべ氏が数年後、主催と主管に大きく関わってくるとはよもや思いませんでしたが・・・。その辺が小説より奇なりの事実、JCの世界なのでしょうか。

(つづく・・・。)