金曜日です。
朝からなかなかに寒い日でして、自転車で行くわ、ということで学校へ登校した下の子を心配しつつ
出社して、ゴミ出しして、本日の仕事を開始したのでした。
よく考えたら、昨日はウチの会長=父親と、わたしの母親夫婦の結婚記念日だったようなことを思い出し
56年夫婦をやってきはったのはスゴイ事なんやろな、と改めて実感しました。
わたしが今年、54歳になるので姉と弟もそれなりの歳になるのは当たり前なのですが、結婚生活の年月≒わたしたち子どもを育てた歴史 なんだろうな、ということも想起して
不肖不出来の息子で申し訳ないな、と心のなかでお詫び。
それとまた別の話題ですが
登校前の下の子相手に、30年たった阪神淡路大震災のことについて話したことも、本日1月17日ならではのことだと思いました。
(何度も書いていますがすみません)
わたしは就職一年目で、当時住んでいた愛知県北西部のまちで、そんな離れていた場所でも、そこそこ揺れてめちゃくちゃビックリした思い出と
ヨメ様は当時、就職前、京都の自宅も揺れたということと、研修期間中でずたずたになった交通網の中、指定された地域へ行くのに右往左往していた思い出などを振り返り
毎年のことながら、家族一同で神妙な心持ちとなりました。
何となく、地震後、神戸エリアがもっともっと復興するという想像をしていたのに、あんなに都会の街でも、30年の月日が経っても、「戻らない」ということがあるんだな、という無念な思いがあります。
平成7年、1995年の頃と言えばバブル景気の終わりごろ、就職氷河期に入った1~2年後のことでしたし
そのあとの、東北を中心とした東日本大震災や地震被害、台風被害など各地で災害が続発したことも関係あるのでしょうが、思えば日本という国の苦難の歴史の始まりの象徴のようなことだったのかもしれません。
世界に目を向けても
9.11アメリカン航空機のテロやコロナ禍、まだまだ続く戦争、最近では大きな範囲での山火事などなど
この30年、被災者でもなんでもないわたしみたいな一市民のものでも、エラい苦しい時代だったな、という感覚があるので
本当に被災者の方々には大変な年月だったことだろうと思います。
わたしとしては
ただ、今を生きさせていただいているものとして、目の前の出来ることからちょっとずつやっていくことすら出来ていない(自身の暮らし・それすらもシンドい)現状が大変歯がゆく、申し訳ないのですが
自分に出来得ることをする、ということでこれからも頑張っていこうと思います。
午前中、事務仕事などを主にして過ごします。
(銀行さんのオンライン系のやり方が難しくって、ちょっと勉強中)
外ではなかなか気温が上がらない中でバタバタと時間だけが過ぎ
11時、用事で外出していったん帰宅。
早めにお昼ごはんをいただきました。
昨日に続き、えびまめ+キムチ+奈良漬けのどんぶり。
そしてキムチうどん。
ごちそうさまでした。
会社に戻り、午後からの仕事開始。
天気はずっとこんな感じ。
午後から、加工反の出荷などがあり
高島晒へ出向いたり、帳面付けたり、伝票書いたり、サンプル着分の出荷をしたり、あっという間に時間が過ぎて
夕方、帰宅。
ヨメ様が出掛けるのを見送り
帰ってきた下の子と夕食をいただきました。
お刺身
鶏と野菜
大戸屋さんみたいなおかず、美味しくいただきました。
ごちそうさまでした。
明日は共通テストの日。昨年、上の子が受験したときから早くも約一年が過ぎようとしているのが驚きでして
その話題を家族でしつつ
テレビで特集がたくさん組まれた、阪神淡路大震災のドキュメンタリー番組などの様子を家族で凝視した
そんな金曜日でした。