また今日も、関係ない方々が大多数だと思いますので、スルーしてくださいね。

近年、「守護霊のメッセージを伝える」というチャネラーや「守護霊と話せるようになる」というようなセミナーなどまであって、女性に人気のようです。

以下の記事で、「チャネリング」は人間の身体のハイジャックだということを書きました。では、「守護霊を呼び出して話すのはどうなのよ?」と思う人がいるかもしれません。海外のメソッドに冒されている人は、守護霊のことをガーディアンエンジェル(守護天使)とかガイドなどと呼んでいます。(この「守護霊」という言葉、調べてみたら、日本古来の概念ではなく、明治生まれの心霊研究者が英語のガーディアンスピリットという言葉を翻訳した訳語だと判明しました。つまり、完全な西洋思想です。)

守護霊がいるのかどうか、守護霊とは誰なのか、などは、もちろん私にも分かりません。そもそも、英語のガーディアンエンジェルの訳語で、舶来思想です。しかし、もし守護霊というものがいたとしたら、その名前から言って、「守ってくれる見えない存在だ」ということは推測できます。

現在の私たちの社会で、見えない存在の言葉が聞こえて、見えないものと会話している人がいたら、どうなるでしょうか。

幻聴とか幻覚を見ていると言われるでしょう。

私が住んでいるアメリカでは特に、精神疾患の烙印を押されます。統合失調とか夢遊病とか病名をつけられたら終わりです。例えば配偶者が児童保護の担当者に連絡して訴えを起こされたりしたら、子供の親権を失います。また、仕事関係のライセンスも剥奪されるでしょう。(そのかわり、病気に対する保険は下りるかもしれませんが、他のもろもろのものを失います。)

日本はそこまで厳しくないかもしれませんが、もし本当に私たちを見守ってくださっているご先祖様なり守護霊がいらっしゃるとすれば、私たちに「精神疾患を抱えているおかしくなっちゃった人」という烙印が押されて、社会的信用を失うのを見過ごすと思いますか。それは、非常にリスクが高い危険極まりないことです。

友達や職場の人、家族に誤解されないように、守護霊の方からベラベラ話しかけることはしないでしょう。

もし、守護霊がベラベラと言葉で長文のメッセージを言ってくるとか、相談に乗ってくれる性質があったら、「守護霊」という名前ではなく、「説法霊」とか「相談霊」とか違う名前で呼ばれて来たはずです。霊は通常は見えないものだから、見えないところからそっと見守るのが守護霊のはずです。

これは、私の勘ですが、守護霊とよばれる存在には、本人や他人とはベラベラと会話ができないフィルタが安全装置としてかかっているのではないかと思います。(こちらから語りかけてみたら、「何かが思い浮んだ」とか「メッセージを心で感じとった」というようなことまでは否定するつもりはありません。)または、自然界の法則の一つとして、不介入ルールがあるはずです。

もし、守護霊がちょっと質問したらすぐに「こうした方がいい」、「ああした方がいい」といちいち言葉が聞こえてきて、アドバイスしてきたらどう思いますか。

私だったら、いちいち介入されるのは嫌ですね。せっかく聞いたのに、それに従いたくない場合もあるかもしれないし、そうなったら失礼ですよね。私たちに選択の自由を与えるという意味でも、私たちの行動を守護霊が規制したらおかしいでしょう。

長文のメッセージやアドバイスをもらう行為は、「守護霊」の仕事の範囲を超えています。もし、メッセージを送ってアドバイス(忠告)する役割だったら、「忠告霊」とか呼ばれていたはずですよ。

私たちの社会で、他人が持っている知識を盗み見たり、情報を盗み聞きしたりして、自分に有利になるようにすることに、試験でのカンニングがあります。司法の世界でカンニング行為は、「業務妨害罪」であり、実際に書類送検された人もいます。犯罪なのです。

見えない世界でも同じではないでしょうか。

学びとか進化という観点からみると、本人の解答ではないものを自分のものと偽らせることは、その人の学びを阻害する行為です。

言語化された守護霊の長文のメッセージやアドバイスを聞くことは、人生のカンニングだと私は思います。

不安で何かに頼りたいとか方向性を見失って、どちらに進めばいいか悩む、というのはよくあることだと思います。でも、悩んだときこそ難しい決断をして、自分を磨くチャンスです。成長するチャンスです。自分の人生では、人に相談してもいいけど、最終的にどうするか自分で決めなければいけない時もあります。自分の判断力や考えを磨いたりするチャンスです。

守護霊のメッセージに頼るようになった人に何が起きるかというと、依存です。それから、自分の頭で考えたり心で感じるのをサボるようになる。守護霊に聞いた方が、安心だと思うからです。そして、失敗を怖れて未然に防ごうとするあまり、守護霊にいちいち頼るようになります。しかし、成功者ほど過去の失敗から学んでいるように、失敗しないように生きていると、そこから学ぶことがなくなるので、成長を妨げることも多いです。

本当に私たちのことを守護してくださる存在がいたら、絶対にベラベラと言葉でメッセージを送ったり、ブログに守護霊とのやりとりの掲載を許したりしません。本物だったら、もっとさりげない形で助けたり守ってくれるはずです。

「霊の言葉が聞こえてしまう」ことは、社会で精神疾患と思われる行為なので、そんな危険な行為を私たちに「簡単だよ。やってみようよ」と気軽に勧めるのは、良からぬものだということです。

もちろん、私たち日本人が昔からしてきたように、仏壇やお墓で(それ以外の場所でも)ご先祖様の霊や守護霊に感謝を伝えたり、成長を報告するために話しかけるのはいいことだと思います。(もちろん、なんとなく守護や導きを感じるというのはあると思います。私が言っているのは、霊の声が聞こえて長文のメッセージが聞こえてくることを言ってます。誤解する方がいらっしゃるので、念のため。)

ただ、向こうから、ベラベラと長文のメッセージが来ることは普通はないし、もし聞こえてしまってそれを人に知られたら、あなたが健常者ではないという烙印を押されるかもしれない危険性があるということです。

本当のご先祖様や見守っている存在は、あなたに妙なレッテルが貼られて社会生活が困難になることを望んではいないはずです。だから、ベラベラ言葉で話しかけてくる存在がいるとしたら、それはご先祖様や善玉の守護霊ではないはずです。

スピにハマって守護霊と会話できるようになったと公言したり、そういうセミナーを教えている人に何人も会ったことがありますが、5年くらいした時に、その方々は全員、離婚して大病を患っていました。

私が言いたいのは、守護霊に耳を貸すなとかそういうことではなくて、自分が精一杯生きていて自助努力を怠らない人には、必ず助けが来て守られるということです。「天は自らを助くものを助く」とはよく言ったものです。

(ご注意:精神疾患になること自体は、よくあることですし、アナウンサーなどもうつ病の体験記などを出していますから、もちろん私はそれ自体が悪いとは思いません。見えないものと会話していると公言していると精神疾患があると誤解される場合がある、ということです。)