2017年2月に出した記事に加筆したものを再掲載しておきます。英語を学びたい人、英語に苦手意識を持っている人は必見です。英語に関して、なぜ拒否反応があったり、なかなか上達しないのか謎が解けるかもしれません。

海外に住んでいると、日本からアメリカに旅行にきた子どもをお持ちの日本の親御さんがたに「うちの子も海外で活躍できる国際的な子にしたいから、あなたみたいに英語ができる子にしたい。一体、どうすればいいですかね?」というような質問をよく受けます。日本に帰国した時にも、「あなたのようになれる秘訣を教えて」的なことを聞かれます。私は一貫して、英語は後でもできるから、小さい頃から、

「和の文化」を身につけた方が、
海外で絶対的に尊敬されるし、注目されるし、評価される

と伝えています。しかし…
田んぼの男性
不思議なことに、そう言葉で言っても、ほとんどの人は私の話を全く聞いちゃいない人が多いのも事実です。そういう方と私の典型的な会話はこんな感じです。
 

国際派目指す教育ママかパパ:「あなたみたいな国際派になるには、子供に何をやらせたらいいですかね? やっぱり今のうちから英語ですか?」

私:「私は中学生ぐらいから英会話の学校に通いましたけど、それよりも日本文化を学ぶ方が大事だと私は思います。書道でも、剣道でも、柔道でも、華道でも、何か和の習い事をさせた方がいいですよ。私はやらなかったので、後悔してるくらいですから。」

教育ママ:「そうですか。やっぱり…。」

私:「はい。そう思いますよ。つくづく。語学より大事なことです。」

教育ママ:「わかりました。やっぱり、英語なんですね。」

私:「違うって!!!! どうしてそうなるんだ??」



おそらく、お子さんがいる親御さんの意識の中に英語信仰のようなものがあって、これもGHQの洗脳プログラムの一貫かもしれませんが、早いうちから英語を身につけさせた方が、子どもが将来的にグローバルな人材になって、より成功する(お金が儲かっていい暮らしができて、幸せになれる)のではないかと勘違いしているように思います。

母国語の土台がないうちから、外国語を覚えても百害あって一利なし

なのに…。

特に、海外で暮らす日本人にとって英語をある程度は習得していることは常識なので、むしろ日本語力と日本文化を習得しているかどうかを問われることが多いです。そして、海外の人は外国人である日本人に完璧な英語の発音は求めません。アメリカなどで就職活動をするとき、ある程度英語がわかることは基本ですが、むしろ英語以外に日本語の能力や専門分野の方をチェックされます。

また、日本人が流暢すぎる英語を話すと「現地人枠」というかアメリカ人枠に入れられて、アメリカ人と競争しなければならないのです。むしろちょっと訛っているくらいの人の方が「明らかな外国人枠」に入れてもらえるため、ライバル視されずに済むし、嫌がらせを受けることが少なく、外国人として優遇されるというメリットもあります。

英語の発音が良すぎる日本人は、アメリカ人枠に入れられて「日系人」か「東洋人」の枠に入れられますから、そう見られて良いこともありますが、過酷な競争にも巻き込まれます。これは私自身の体験もそうでしたが、英語の発音を頑張って良くしたところで無駄に「この人はここに長くいそうだな感」=「競争相手」という見方をされると、「成績の優劣を争う相手」、「配偶者や友人の有無などモテを争う相手」、「仕事を取るか取られるかを争う相手」という見方をされるのです。ですから、相手は全力でぶつかってきます(苦笑)。明らかに期限付きの留学や駐在などで、「一時的にしかここにいない外国人」にはアメリカ人は案外、優しいのですけれど。私の日本人的な激しい競争というか闘いを好まない性質から言って、これは心理的にかなりしんどいです。そちらの枠に入れられると同僚や友人との付き合いで常に「競争心」をむき出しにされて、常に闘いモードでいなければならないのです。

また、子どもの頃に学ぶ英語なんて、「ドッグ(しかし、この言葉には含みがあるので注意)」とかキャットとか、日本語の語彙を超える言葉は出てこないわけですから、あまり意味がないのです。中学生以降でも十分なのです。もし、どうしても、子どもに日本人ぽい発音ではなくて、ネイティブな発音の英語を覚えさせたかったら、英語の歌を家でかけるようにして、音に慣れ親しむようにしておけば良いと思います。

わが衣手は

でも、日本人は日本語ができて日本文化や日本の歴史を習得していて日本人としての誇りを持っている人こそ、海外の人たちから有用な人材とされたり、魅力ある人だと思われ、大切にされます。むしろ、小さいうちから古事記などをテーマにしたアニメを見るとか、素読をさせるとか日本の真髄を学んだ方が海外に出た時に役に立ちます。日本語がいい加減、日本文化はよくわからない、という日本人は海外では尊敬されないし、適当に扱われます。

以前、「日本人が英語が苦手な理由といいねについての考察」という記事を出しましたが、日本人がアホだから英語が苦手なのではなくて、私は複雑なシステムから単純なシステムに乗り換える方が「生き物の進化」という本能から言って、難しいということがあると思っています。ひらがなとカタカナ、そして漢字という表音文字2種類と表意文字の3種類を同時に使いこなす日本語の方が英語よりも何倍も複雑なことは明らかですよね。(これは、日本人が英語に苦手意識を持つ理由のその1です)

夏目漱石や福沢諭吉など明治時代の日本人は、日本を守るためにかなり勉強して独学で英語が堪能になった人材も多かったので、やる気になれば出来るものはずなんです。私たち戦後の日本人の「英語が苦手」というのには、気持ち的なものが大きく影響していると思います。戦前の日本人にできたことが、戦後の私たちにできないはずないんです。私たち日本人は、欧米諸国の有色人種差別に抗議して、植民地主義に逆らって戦争しました。

 

敵国の筆頭であったアメリカとイギリスは英語ですよね。一般市民を日本の各地で空襲して民間人を大量虐殺し、さらに二発も原爆を落としたのは、アメリカでした。つまり、私たち戦後の日本人は「英語を喋る奴ら」にご先祖様を大勢虐殺されたので、その記憶をまだ持っているのです。

ですから「なんか英語って苦手だな」とか「英語ってなんか、下品に聞こえる」と現在の私たちが無意識に思うのは、当然な気がします。私たち

日本人の潜在意識にとって、英語は「死神の言葉」


なんですよ。

いくら英語を勉強しなきゃいけないとわかっていても、潜在意識が「野蛮な虐殺者の言葉をしゃべれって言われてもねえ…。嫌だよ!」と拒否していることが多いのだと思います。つまり、私たち戦後の日本人にとって英語にはトラウマが付随しているのです。

私は日本語が私たち日本人を守ってくれているとも思うので、なんでもかんでも英語化すればいいとも思ってません。内容を全部英語化すると、日本を潰したい勢力が内容をチェックして潰しに来ますからね。英語メインで考えるということは、思考を二元化(イエスかノーだけで考える)ことにも繋がって、人間として劣化を招くし、最終的に人工知能で支配することが簡単に出来る人間になり下がります。ですから、小さい頃から英語をやらせるとむしろ有害だと思います。

今のところ、人工知能がある程度は日本語を解読できますが、日本語が複雑すぎて完全に理解することができていないのです。私たちには以心伝心の察する文化があり、「KY」という言葉にあるように、私たち日本人は空気、つまり場の雰囲気というものを常に読んでいて、それが読めない人はKY認定されるのです。これは、一種のテレパシーであり、非言語コミュニケーションと言えます。また、能の大成者であった世阿弥が書いた書物の中に「秘すれば花なり」という日本独特の美意識について書いてありますが、思いの全てを言語化することを私たち日本人は美しいと思っていません。それに対して、西洋の言語では、言いたいことをほぼ全部言語化しないと理解してもらえません。「空気」や「雰囲気」という形のないものを言語化して人工知能に入力することは至難の技なので、すぐに日本人を人工知能で完全支配することは難しいです。

 

むしろ、私たち日本人は逆に人工知能に日本語に組み込まれた「利他心」や「助け合う心」、常に感謝する生き方という日本の伝統的な価値観をプログラミングして、人工知能の悪用や暴走を無力化することを実現しないといけないと思います。それが出来るのは日本人と日本語で育った人だけです。

ハラルド・カウツ・ヴェラ

そして、英語学習に関しては「やられる、やられた」という潜在意識に入っている被害者意識から英語に苦手意識を持っていたことを自覚して、新たな気持ちで危機管理と自己防衛という点から「奴らの言葉と考え方も知ってやろう」、「逆に日本の精神で奴らを無力化して見せよう」という感じで、日本を叩いて根絶しようとしている勢力に殴り込みをかけるつもりで英語を学んで(使って)いきたいですね。

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