∴桜の庭∵櫻井詢晃(サクライジュンコ)です。

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第38回・ゼリツィン®︎エリクサー自主勉強会を開催しました。

 

ゼリツィン®︎エリクサーの創始者エリザベト・ゼリンさんの専門書を読みながらエリクサーの理解を深めようと、一昨年の10月からスタートした勉強会の最終回でもありました。

ラストを飾るのは【8‐5ヴィルデローゼ&エーデルオパール】
(ワイルドローズ&オパール)のエリクサーです。

まずローズです。エリクサーに使われているのは「ワイルドローズ」という原種のバラです。

別名ドッグローズとも呼ばれ、これは根が狂犬病の治療薬として用いられたことから来ているそうです。ビタミンCが豊富な実はローズヒップとしてよく知られています。

バラの原種ってどれくらいの種類あるのだろう?と調べてみたところ、その数の多さに圧倒されました。ヨーロッパ、中近東、中国、日本、北米だけでも42種類の原種のバラがありました。

人為交配による育種の研究がされ19世紀半ばには3000種を超える品種が存在していたそうです。

メソポタミアの物語「ギルガメッシュ叙事詩」に「バラ」という言葉が記され、2000年前のクレタ島のクノッソス宮殿のフレスコ画にはバラが描かれており、古くから薔薇は存在を示していたようです。

ボッチチェリの「ヴィーナス誕生」に薔薇が描かれているのも有名な話ですが、ヴィーナス(金星)とバラの関連付けがされていたようです。

 

ワイルドローズは五弁のハート形の花びらと愕をもち 葉の着き方もスパイラル状に五芒星を描きます。


太陽のまわりを巡る金星と地球が会合する8年ごとの会合点を結ぶと五芒星になります。

星が天に描く形と地上に描かれる形(バラの五芒星)が響き合っていることからバラは金星(ヴィーナス)の象徴となったようです。

 

 

五芒星は人間の身体の形でもあり、地上原理も表します(陰陽五行の五芒星)バラ地面にしっかりと地面にしっかりと根を張るところから、大地との繋がりをもとうとする意志も感じられます。そして天に向かってカップ状に開く花の姿は恩寵を躊躇いなく受け取ろうとする姿にも見えます。

 


視野を広くしてみればバラ科の植物には、梅、梨、桜、苺、など実のなる植物が多く、バラ科はわたしたちに「実り」をもたらす植物だとも言えます。

そこにヴィーナスのもたらす愛と美と豊かさを感じることができます。

 


バラはキリスト教やイスラム教に於いても重要な植物でした。
奇しきバラ(Rosa Mystica)は聖母マリアを表し、赤いバラはキリストを象徴します。

十字架にかけられたときの茨の冠は原罪を表し、大地に染み込んだ赤い血が赤いバラを表すそうです。

イスラム教に於いては白いバラはマホメットを、赤いバラは絶対心アラーを象徴しているそうです。



バラを偏愛した皇帝ネロやヘリオガバルスもバラにまつわる逸話が多くあります。
(ヘリオバルスは余興のように大量のバラを天井から落として客人を窒息死させたそうです)



ナポレオンの妻のジョゼフィーヌもバラを愛でるだけでなく、植物画家ルドォーテに集めたバラの絵を描かせて記録に残しました。

このころにはアンドレ・デュポンによる人工交配で育種の技術が確立され、多くの品種のバラがつくりだされました。



こうして観ていくとバラが古くから私たち人間に与えた影響力の大きさに目を見張りまず。

「花の女王」として位置づけられているのも頷けます。


☆*°・。*


そうしてもう一つのエリクサーの受容な要素である鉱物のオパール。

これは結晶構造をもたない非晶質の鉱物です。

角度を変えると光を反射してオーロラのように色を変えるオパールは、珪素と水が交じり合ってできた粒子が集まって形づくられているのだそうです。

その粒子のサイズによって、紫、青、緑、黄、と色が変化するのだそうです。

主な産地はオーストラリア、メキシコ、ペルー、エチオピア、などで、産出するところによってつけられている名前が変わります。



埋没した貝や樹木が珪酸分と交代することで生成されたり、恐竜や哺乳類の歯などの化石がアパタイトから珪酸に入れ替わりオパール化することもあるそうです。

有機物が長い年月によってオパールに変化するというところが、オパールの「新しく創造する」ヒーリングストーンとしてのはたらきと繋がっているようで興味深いです。

「ワイルドローズ&オパール」を必要とするときは、長年の苦難をやっと乗り越えたり、大きな目標を達成したあとの脱力感、もしくは「生きていることそのものが楽しめない」といった、自分の生きる意志やニーズが削がれてきたことによる「深い諦め」による無気力感をサポートします。

「今、生きていることに歓びが感じられない」これは、今という時代を生きているわたしたち全員にとっての深いテーマかもしれません。

なぜなら、わたしたちは生きていく過程で「まわりからの制限」によって「自分の本当にやりたいこと」を諦めているのかもしれません。幼い頃から「ダメ」と言われ続けると、自分の「やりたい」を無いものにしてしまいますから。


今回の勉強会で皆さんと感じたことや思い浮かべられたことをシェアしていく中で「今、ここにある幸せ」を見つけたり感じたりできるかどうか?によって、状況の受け止め方が変わるよね、という話になりました。

 

家族の面倒を見なきゃいけないことを「犠牲」と感じるか「歓び」とできるか?その違いはどこから来るのだろう?という問いが生まれ、身体的余裕、時間的余裕、経済的余裕、この三つがあるときは「歓び」として捉えやすいね、という意見が出ました。

 

わたしはそこにバラの描く五芒星のメッセージを感じました。五芒星の示す「人間であるわたし」を認識すること、人間としての健やかさや調和に目を向けること、これが「生きる歓び」のベースになるのではないかと思いました。