若者がメタルを聴かない論争
メタルというよりかロックだな
それは色々理由はあってどれも意外と単純だと思うのだが、個人的に一番大きいと思うのは敷居問題
メタルやロックをやると言われるとまぁバンド組もうぜとなるのが普通
実際はそんなこともないが人類レベルでビートルズの作ったバンド幻想にとらわれているからね
パソコンひとつありゃ1人で成立する音楽を若者がやるのは当然という単純な話
YOASOBIもそうやって出来てるし、米津玄師もボカロPだ
わざわざ4人も人間が集まってあーでもないこーでもないと纏まりにくいことなんて誰もやらない
実際に売れてるロックも竿なしで打ち込みだったりするわけだ
そんな感じでここ10年くらいで世界中、日本でも家でパソコンでオケ作ってラップしてそれでフルパッケージで完成して大金持ちになった若者は沢山いる
そういうソロだと色んなジャンルにクロスオーバーしていくし、それがどんどん発展性をもたらす
だが何故か4人とかのバンドだと逆に思想じみてくる
バンドとはみたいな側面が強調されるのは複数故の仲間意識が排他的にも働くのではないか
その辺もバンドつまりメタルやロックの閉塞感の原因のひとつだと思う
ロックぽいものでも日本だと大体ギタ女や某楽器を持たないパンク的なやつ
もうその切り口しか企画的に事務所はやる気がない
日本でバンドで成功するならそのバンドコミュニティでやってくか、もしくはサザンやミスチル直径の歌謡曲フォロワーか、ボンボンの集まりの芸大出身かみたいな感じだ
海外だとラッパーがロックをフィーチャーするのでちと違う
ポスト・マローンやMGKとか
ともかくそう考えるとバンドというもの自体の構造の問題なのでメタルやロックというジャンルの宿命だとも言えるかもしれない
マルーン5なんてのはバンドであることを放棄して生き残ったようなものて、Voにフィーチャーしてポップスに変わった
バンドなんてマジで誰でもいいし不要ですらある
やっとベビメタの話をするがメイトとしての観点で言えば、コバというブレーンがいてパーソナリティーの存在しないバンドがいる構造はソロなんだよね
ソロなんだけど身体性の獲得先として3人を前に出す
その役割分担が完璧だしそれぞれで100%能力を発揮したからハイクオリティーなわけだ
リルウジのコラボは彼がベビメタが好きだからだが、それはベビメタの持つ身体性がリルウジのジャパンカルチャー趣味と一致するから
でも実際にはもはやお抱え作家陣ですらなくPALEDUSKのdaidaiに曲を投げてるわけで、もう実際にはなんだって良いのである
なんだって成立するから
それは大事なのが3人の身体性のリアリティーであり、そのポジションが重要だから
そのポジションとは何なのかといえばメタルとアイドル、そしてその他ジャンルとの間にある
3人が思想を出す構造ではないのでそれがフィルターになってて他が興味を持って飛び付きやすい
実際にはコバメタルの思想が反映される構造だが彼は注意深く偏らないようにそれらを排除している
そうやって色んな物の間に存在する媒介者としていることをコバメタルは重要視している
だからメタルだアイドルだのという論争は好き嫌いのレベルにおいてはくだらないが、媒介者として存在する以上は起こり続ける
だがベビメタを媒介者であると認識して見ているかどうかで全く変わってくる
媒介者として認識していればそれ自体に意味があることに気がつくがそうでなければいつまでもメタルじゃないだのアイドルじゃないだのと間違った認識で喋り続けることになる
ベビメタはメタルとその他をとりもつ媒介者である
媒介者だからこそマリリンマンソンが好きで日本が好きなラッパーがコラボレーションしたいと思った時にベビメタを選ぶのだ
ラップなんてクソだメタルこそ至高なんていってるバンドは死んでいくだけだ
構造的にも独特で何にも属さず、音楽性もそうであり、しかし身体性的にはしっかりと存在感がある
これがベビメタだと理解してる人は案外少ない
気がする
終わり