「問題はつくられる」
不登校も金髪もピアスも、ゲーム好きも、
すべて誰かが「問題」だと言った瞬間から問題になる。
尊敬する工藤勇一先生の言葉。
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わたしは思う。
金髪やピアス。これらは現象。
わたしは大昔からそれらを何も問題だと思わない。
しかし寂しさへのアピールで、または虚無感の中で、
ピアスを開けたり金髪にする子もいる。
わたしは現象(金髪やピアス)の背景にある、
切なさや虚無感、寂しさを心に留めておきたい。
不登校。これも現象。
ハツラツイキイキ不登校している子は問題ないのだろう。
しかしなかなかそんな子には出会わない。
元気な不登校生と言われた娘でさえ、
親(私)や家庭の問題や特性の問題は抱えていた。
保健室ではよく不登校の生徒から、
すぐに誰かが介入しないといけないほどの
様々な苦しみ(保護者の対応、家庭の背景、教師の対応、発達特性少数者ゆえ苦しみなど)も聞いてきた。
早急な手立てが必要な時もある。
全ての不登校が問題ないとはわたしは思わない。
しかしその背景は大切にしたい。
ゲーム好き
ゲームは全く問題に思わない。
なんなら人生の役に立つことばかり。
ゲームに夢中で宿題しない、は全くゲームのせいではない。
ゲーム脳、この言葉こそ、
「問題として作られた」ものだと思う。