前回、日本の教育水準の高さについて書いたけど、思い返すと、日本の学校って本当に色々なことを教えてくれたと思う。

 

勉強はもちろんどこの学校でも教えるものだけど、習字やそろばん、料理、裁縫などのスキルを教えてくれるのも、とても有難いことだと思う。その他にも、運動会や学芸会、合唱発表会など、どれも気合い入れてやっていた。

 

うちの子らの学校でも、一応運動会や音楽発表会、演劇などはあるけれど、けっこうアッサリしていて、日本のように気合いは入ってないように感じる。あと、青虫を蝶に育てたり、じゃがいもを水につけて育てたり、というおなじみの実験も、お目にかからないし、さつまいもやじゃがいも掘りに遠足に行ったりということもない。また、全員が放課後掃除をして、教室の雑巾がけまでやる、とか、給食係になって盛り付けをする、なんてことも、たぶん海外では皆無だろう。

 

アメリカで寮生活をしていた頃思ったけど、アメリカ人女子は7-8割方、まったく整理整頓ができない。お化粧は13,4歳ぐらいのころからして、ヘアスプレーバッキバキで着飾っていても、洋服は脱いだら床に放りっぱなし、片付け・掃除は全然できない、料理もしないでピザやハンバーガーばっかり食べてるし、まったく基本的生活習慣が身についていない子があまりにも多くて呆れた。あの子らも、日本の学校行って雑巾がけやトイレ掃除やカレー作りでもしたら、少しは改心するんじゃないかしら(笑)ニヤニヤ

 

今だに、日本の学校行ってて何気に有難かった、と思うのは、家庭科。

 

ちょっとした裁縫なら、日本人は誰でも出来ると思うし、それは今になってもすごく役立つライフスキルだ。子供たちの学校では、何かとイベントでコスプレが多くて、衣装を作らなきゃいけないことが多いんだけど、そのたびに手縫いで色々なコスチュームを作ってきた。下手だけどね、、、。

 

アメリカの学校では家庭科の授業ってないし、うちの子らの学校でも、たぶんないと思う。一応簡単なお裁縫やぐらいは教えるのかもしれないけど、日本みたいにパジャマを型紙から作ってミシンで縫うとか、みんなでカレーを作るとか、修学旅行で飯盒炊爨の実習、とかはないんじゃないかと思うな。

 

さて、先日、学校の保護者のFBページに、新入生のママから駆け込み寺にでも来たかのような投稿があった。

 

「助けてください!明日から息子が新入生として入学するんですけど、針と糸がどうしても見つからなくて、制服用のネームタグがまだ縫い付けられないんです!仕立て屋さんも探したんですけど、どこにあるかわからないんです。誰か、針と糸を貸して頂けませんか?または仕立て屋さんを知っていたら教えてください。」

 

うちの学校では、生徒の名前が刺繍されたネームタグが制服と一緒に渡され、それを縫わなくてはいけない。

 

他のママさんたちが、

 

「大丈夫よ、初日はマジックで名前書いてもいいし、ゆっくり焦らずね!」

 

「近所の仕立て屋さんを知ってるけど、行ってみる?」

 

「針と糸ならいつでも貸すよ」

 

などと励ましの返事を。

 

そのママさん

 

「ありがとう!私、裁縫は全然ダメだから、仕立て屋さんに行ってみようと思うわ!」

 

と。

 

、、、ん?

 

仕立て屋さん!?

 

わざわざ仕立て屋さんに行って、たかだか名前タグを縫ってもらうという手間を考えると、それだけですっごい面倒だと思うんだけど、、、。しかもそれにお金を払うって、、、。ちょっとした片手間ですぐ出来ることだと思うんですが、、、。

 

でも、海外の学校では、もしかしてお裁縫を基本から習っていないから、ネームタグを縫うっていうだけでも一大事で一苦労なのかもしれない。

 

学校で習えないのなら、子供たちにも、料理と裁縫の基本ぐらいはしっかり教えてやらなくてはいけない、、、と実感した。

 

日本の教育は暗記ばかりで創造性が無い、などと言われているけど、こうして考えると役立つライフスキルをたくさん教えてくれるし、実習・実体験を通して色々なことを総合的に学べる仕組みになっている。遠足や社会科見学でも班に分かれて、班長も指名したりして、体育委員とか図書委員とか、生徒会長など、いろいろ委員になる機会もあってリーダーシップの形成もちゃんと行っている。運動会などのイベントや学園祭などでは皆が気合いを入れて精一杯頑張って、そういう中で仲間意識が育つ。何よりも、自分で掃除、料理、裁縫をするという基本的生活習慣、ライフスキルだって、ちゃんと身に着く。わざわざ学校が教えてくれるなんて、なんと有難いことでしょう!

 

やっぱり日本の基礎教育って凄くレベル高いな!とつくづく思う今日この頃である。

 

 

 

 

 

無事に家は完成したけど、万事順調なはずはなく、いろいろと修繕箇所はまだ残っている。

 

まあ大抵のことにはマレーシアだし仕方ないと目をつぶってきたし、目をつぶれる範囲のミスだったが、さすがにコレは許せない!と思ったのは、、、

 

 

プールの深さが設計図通りになってないっ!

 

左側が浅く、右が一番深い構造なんだけど、一番浅い部分が図面では水深1mだったなずなのに、入ってみると75cmしかない!!!ガーン 深い部分は逆に図面より深くなっていると思う。

 

深すぎるプールも危ないが、浅すぎるプールも同様。興奮して浅いほうで飛び込んだりしたら、間違いなく底に激突して非常に危険だ。

 

1mが97センチだった、1m5cmだった、とかなら、まあなんとか許せる範囲だけど、25cmも間違うって、どういうこと!?!?どこに目がついてんねん!?ムキーパンチ!パンチ!パンチ!

 

私たちも自分たちでちゃんと計測すればよかったんだけど、そんなことふつうは工務店と建築家がやることでは?それに、コンクリートを打設してから発覚したであろうことだから、確認したところで後の祭りだったろう。

 

さすがにこれは許せないので、図面通りに修復させたいけど、プール底だけ掘るわけにもいかないので、全撤去して一から作り直すか、プールの淵を高くするしかない。

 

呆れて開いた口がふさがらないけど、まああの工務店のおっちゃんなら仕方ないのかなー、、、。人はすごくいいんだけど、一事が万事行き当たりばったりで、メモを取りもしないからすぐ言ったことを忘れる。工程表をちゃんと作って要所要所できちんと次のステップをチェックしたり、何かやる前に施主に確認したり、という努力をしないで、横着をして勝手に突っ走る。まったくプロジェクトマネジメントということが出来ない人だから、そのおかげで、やり直しになって余計な時間と料力とお金がかかる。

 

最後は

 

「オーケーオーケー、ドン・ウォーリー、ラー!ちゃんと直すラー!」

 

ってやってくれるんだけど、当然お金は全部工務店が負担しているから、はっきり言って利益はゼロどころか、赤字なんじゃないかと思う。こっちだって、それでは心が痛む。

 

マレーシア側のスタッフがこんな調子だろうというのは想定されていたことで、だからわざわざカナダ人の建築家を雇ってるのに、彼女も昨日私がプールの深さのことを指摘したら

 

「えっ!ごめんなさい、工務店のおっちゃんがチェックするべきことなのに、なぜ怠ったのかしら!」

 

と、、、。

 

本当はそういう仕事は建築家ではなく、コンサルがやることなんだろうけど、彼らの売りは、「デザインもプロジェクトマネジメントも全部1ストップでお任せ」で、そのために高い顧問料を請求してるんだから、それくらいお客さんにしなくては単なるリップサービスじゃないか。むしろ、え、そこまでやるの?とお客さんに驚かれるぐらいのサービスをしなければ、ビジネスの世界では生き残って行けないぞ、と日本人としては思ってしまう。

 

結局、隅々まで細かいチェックをしたのは、ほとんど夫と私。彼女のデザインも、たとえば窓が高すぎて手が届かないとか、風通しや採光をまったく無視した窓の配置とか、問題がたくさんあって、もし私たちがうるさく言わなかったら、へんてこな家が出来上がっていたことは間違いない。チーン

 

完璧に仕上げなければ恥ずかしい、と思わないのかな?後で直せばいいや、で何でも済ませて、それでいいのだろうか?なぜホウレンソウもなく、事前にしっかり計画・確認してから行動しないのだろう?

 

日本スタイルと同じ基準で比べると、なぜ?なぜ?なぜ?と疑問符でいっぱいになる。

 

 

でも、そんなこと異国の地で叫んでもどうにもならない。これ以上工務店のおっちゃんを追い詰めたくないけど、ここは心を鬼にしてプールの修復作業は絶対にやってもらいたい、、、。

 

 

この調子だと、完全に落ち着くのは、あと1年後ぐらいかなー、、、トホホ、、、。マレーシアでの家作りは、やっぱり苦行の連続であった、、、。

 

 

 

 

ついに、やっと、新居に引っ越した。

 

土地を見つけてから、もうすぐ4年。長かったなー、、、。

 

まだまだ細かい修繕はたくさんあって、床がビミョーに平らでない部屋があったり、電気のスイッチが妙なところについてたり、パティオの屋根の水漏れがすごかったり、さすがメイド・イン・マレーシア、いろいろ問題はある。とりあえず住める状態になったんで、強引に週末引っ越しした。これから、半年ぐらいかけて色々修繕するのだろう、、、。

 

一生懸命自分たちでレイアウトや使い勝手を考え、タイルから蛇口、ドアのノブ、何から何まで全部一から選び、それもマレーシアでやるという、超無謀なビッグプロジェクトだった。しかし、もう2度と生涯でオーダーメードの家を建てることはないだろうな~、、、。

 

キャビネット類や下駄箱も、内装屋任せにせず自分で全部考え、棚板の配置までこだわってデザインした。これを機に、インテリアデザイナーに転身しようかな、なんて思ったりしてね。ウインク

 

その一部をご紹介、、、。

 

これは、私のこだわりの、ビルトインの下駄箱。(笑)

 

 

こっちの家って、下駄箱がないから、玄関に無造作に靴が脱ぎ捨てられているけど、日本人としてはこれが我慢できず、どうしても、家族全員の靴を全部収納できる大きいビルトインの下駄箱が作りたかった。

 

でも、いかにも下駄箱とわかるのではムードがないので、真ん中を飾り棚にして、一見して下駄箱とはわからないデザインに。

 

 

こちらはパティオのお気に入り角度からのショット。

 

 

このコンクリートのベンチ、建築家は大雑把に適当なサイズで図面出してきたんだけど、座り心地の良い座面の高さ、奥行の長さをしっかり確認して、背もたれは直角ではなくちゃんと傾斜をつけて、自分で図面を描き直した。

 

家具や家を作るときっていうのは、人間工学をしっかり考えて、使いやすい、座りやすいデザインにしなければいけなくて、思った以上に神経を使うということを学んだ。

 

 

建築家のアイデアで木の格子を様々なところで取り入れ、涼しげなジャパニーズな雰囲気になった。外壁の装飾の石材はバリから取り寄せた。この木格子と石材のコントラストがお気に入りポイント。

 

 

最初はバリ風に、、、と思っていたんだけど、気が付くとZENな家になっているではないか!

 

でも、やっぱり心が落ち着くんですよね、ZENのミニマルな雰囲気が。

 

2階からの夕焼け。

 

 

 

いざ住んでみると、ここに至るまでのいろんな思い出が蘇って、感慨深いマレーシアの我が家。

 

建築家、工務店の皆さん、内装屋さん、外溝工事屋さん、電気工事屋さんなどなど、たくさんの方の手をお借りして、無事に建った。

 

みなさん、ありがとうございました!

 

 

 

 

 

 

 

吠えて吠えて一家全員気が滅入っていた隣家のビーグル犬。

 

ある夜、2階の子供たちの寝室から、台所の奥の部屋でケージに閉じ込められ、絶叫している姿が見えた。

 

出して!出して!ってケージに小さな体で何度も体当たりしている姿を、子供たちとじーっと見ていた。

 

「ほら、ママ言ったでしょ?犬のせいじゃないんだ、閉じ込めるあの人たちが悪いんだよ」

 

と息子。

 

さすがに可哀想すぎると思った。

 

あんなところに一日中閉じ込められてたら、人間だって狂うよ!

 

15分ぐらい吠えた後、子犬は疲れて眠くなったようで、諦めて寝そべって、ケージの中でしょんぼり眠りについた。

 

次の日、うちのメイドちゃんが隣家のメイドちゃんについに抗議した。彼女は日中家にいるので、あの鳴き声に誰よりも一番参っていた。

 

なんで一日ケージに閉じ込めているのか、と聞くと、あちこちにおしっこするし、悪戯もするから、そうするように言われている、と。

 

じゃあ、ケージのある部屋の窓や勝手口のドアを閉めるなり、人が見てやれるときはしばらく外に出してやるなり、なんとかしてくれない?こっちは一日中あの声を聞いて頭がヘンになりそうだ、と訴える。

 

奥様から窓を開けるように言われているのでそうしている、ということだった。

 

そのメイド自身も、相当気が滅入っていたらしく、私も頭がヘンになりそう、と言っていたそうだ。

 

さて、この会話が功を奏して、次の日から飼い主は、ケージ閉じ込めの刑をやめて、子犬を裏庭に出した。

 

あれだけ吠えていたのも嘘のようにピタッと止まり、子犬は広い裏庭でご機嫌そうだ。家には入れてもらえないので、お腹が空くとちょっと鳴くけど、前みたいに悲壮な絶叫はもうしなくなった。特に大きな悪戯もせず、ぬいぐるみと無邪気に遊んだりして、大人しくしている。

 

 

まだこんな小さい赤ちゃんなのだ。そりゃあ、ひとりぼっちであんなケージに入ってたら悲しいだろう。

 

子供たちと一緒に近くに寄ってみたら、写真の左のほうにあるブロックの四角い穴に頭を突っ込んで、必死でこっちに来ようとする姿が笑えて可愛い。頭をなでてあげると尻尾を振って喜ぶラブラブ

 

でも、誰にも遊んでもらえず、一日の大半をここで一人で過ごしている。小さい子供たちも、全然出てこない。ときどき、うちの子らが様子を見に行ったり、ブロックの穴から頭を撫でたりしている。

 

誰かが家から出てくると、いたずらでもしているのか「シッ!」とか「ノー!」「あっち!」とか怒られる声ばかり聞こえてくる。

 

昨夜、日が暮れて暗くなったら、ちょっと寂しくなったみたいで、子犬は勝手口の前で鳴いた。

 

そうしたら、男の子が出てきてキッチンに入れてあげた。勝手口のドアが空いて、暗い裏庭に明るい光がこぼれた瞬間は、なんだかマッチ売りの少女がマッチに火をつけて温かいストーブやごちそうを夢見ているあのシーンのようだった。ああ、やっと遊んでもらえるのかな、、、お願い と思ったら、数分後、また絶叫が始まった。単にケージに入れて寝かすために中に入れただけだったのだ。ガーン

 

ケージが死ぬほど大嫌いなんだ!と全身で訴えるかのように、子犬はけたたましく吠え続けたので、諦めてまた外に出した。

 

「外は暗くて寂しいけど、ケージよりはマシだな~ 得意げ」と納得したかのように、子犬は床についた。

 

よかったね、出してもらえて。

 

そんなわけで、気がづくと、子犬の一挙一動を見守っている今日この頃なのだ。にひひ

 

 

 

 

毎日、シンガポールのハイウェイを通って会社に通勤をしているけど、だいたい必ず週に一回は玉突き事故があって渋滞する。多いときは週2回とか。しかも大抵はラッシュアワーの交通量の多い時間だ。

 

この前も、誰かが事故って大渋滞して、おかげで45分も会社に遅刻してしまった。

 

なんでこんなに事故が多いんだろうか。だいたい、ラッシュアワーは車が多く、スピードもそれほど出せないはずなのに。

 

でも、この前自分で運転していて、その理由がわかった!(と思う。)

 

シンガポールのドライバーは意地悪な人が多くて、後ろから煽ったり、車線変更しようとしてもわざとスピード出して入れてくれなかったりというのが普通だ。ま、これはマレーシアもそうだけど。

 

いつもそんな意地悪ドライバーに囲まれてストレスが溜まっている私だけど、この前、指示器も出さず無理矢理車線変更して前に割り込んでこようとした車がいて、すっごく頭に来たので思わずスピードを出して入れないように意地悪してみた。

 

すると、突然前の車がスピードを落とし、危うく衝突しそうになった。

 

ラッシュアワーは交通量が多いので、急に渋滞してスピードが落ちることがあるのだ。

 

幸い衝突は避けたけど、きっと事故を起こす輩のほとんどがこのメンタリティーで運転しているのではないか、とそのとき閃いた!ひらめき電球

 

横から車線変更で割り込んでこようとする車がいる→ムカッ、自分の前には入れるもんか!ムキー→スピード出して車間距離を詰めるあせる→急に前の車のスピードが落ちて衝突ドンッ→後ろも衝突して玉突きドンッ

 

まったく、この負けず嫌いのキアスなメンタリティーのおかげで、いつも事故渋滞になって、大迷惑だ!

 

それどころか、自分もいつか事故に巻き込まれたら、たまったものではない。

 

もっと車間距離をあけて、車線変更は素直に譲って、やさしい気持ちで運転できたら、事故も渋滞も減るのにね~。むっ