抵抗する思考、気分の悪くなる思考をやめる、って書いたあとで、
(やめる、というより、選択しないが適切かもしれません)
話が少し飛んじゃうのだけど、、😅
より大きな課題にぶち当たるほど、
自分がしあわせを感じていたり、気分がよかったり、余裕がなければ、
それが難しい、と感じるようになってくる。
自分が気分の悪い状態で過ごしているときに、
しあわせを感じられないときに、
例えば、
目の前の人のしあわせをよろこぶことって、
わたしには出来なかったんだ。
その人の前ではよろこぶんだよ、、
おめでとう、よかったね! って、
いつもより大げさになって、
大人ぶって、よろこんでる姿をつくるんだけど、
心がつらいの、、
心が傷ついてるの、
そんなフリをさせてる自分にも
頭が混乱する、
ずっとそうしてきたけどね、、そうさせてきたけどね、
似たようなシーンは他にもいくつも例があって、、
そんな体験を繰り返す中で、
何よりもまず、私は私をしあわせにしなければ、ならないのだと、
心底思う時がありました。
自分の心に余裕がないとき、
私は、赤ちゃんの泣き声を聞くと、とても辛く感じて、、
タバコのポイ捨てを見ると、無性に腹がたったり、
何を見てもイライラしてた。。
それはね、私を苦しめるために起きていたのじゃなくて、
全部全部ね、
私が私をしあわせにすることを決意させるために、思い知らせるために、
起きていたんだと思う。
しあわせになることに抵抗しないで、、
そっちじゃない、そっちじゃないよ、って
教えてくれてたんだと思う。