5月7日にグループホームから救急搬送された87歳になる母のことを2週間ほど前に書きましたが、その続編です。
救急搬送された近大さやま病院で、治療すべきことはなくなったとされて、療養型病院の阪和第一泉北病院に転院したのが5月28日でした。
一切面会禁止だった近大さやま病院から、阪和第一泉北病院に転院した途端に、毎日予約もなしで面会できるようになりました。
コロナ対策?
病院の都合?
この違いっていったい何なんでしょうね?
阪和第一泉北病院まで車で5分ほどなので、以降、毎日仕事の様に母の顔を見に行っています。
近くというのが一番いい
入院時に「延命治療」についての確約書にサインをしました。
2007年に母から聞いた通りにパソコン入力していた「いざという時の覚え書き」をプリントして医師に渡してきました。「自分が判断できなくなった時には一切の延命治療は行わない」と書かれています。
転院2日後には、血管が細くなりすぎていて点滴の針が入らないので、「皮下水分注入」に切り替えるということになりました。
「水分だけで栄養分がなくなるので、今後は少しずつ痩せて行って、1週間から長くて1ヵ月ほどで命が尽きるかもしれないと思っておいてください」と言い渡されました。
あ~、いよいよか~
ところが、1週間後、母の顔を見に行ってみるとベッドに姿がなく、すっかり片付けられてしまっています。
え~?どういうこと?
面会受け付けをしたナースステーションに戻って聞いてみると、
「あ~、細川さん、今日リハビリの先生に入っていただいて吸い口でとろみのある水分とキャンディーを口に入れてみたら、ご自分でキャンディーの棒を持って食べられましたので、来週から食事を始めてみることになり、食事を出す病室に変わっていただきました」とのこと。
こんなことってあるんでしょうか?
1ヵ月も絶食状態だったのに、何度も後1週間ぐらいと宣告されもしていたのに、口から食べ始める?
食べさせてみようと思い付かれた先生って何ゆえ?
命の不思議?
運命の不思議?
いろんなことが頭の中を巡ります。
もう少し、生きてみようと思ったのかなあ?
私の方は気持ちが付いてゆけずにいます
母が入院した頃から、なぜか本が読めなくなっています。
文字面を追っても内容が全然頭に入って来ない。
テレビも見たくないし、絵も描けない。
映画館にも行ってない。
外界に興味が持てない感じが続いています。
写真は早朝ウオーキングで毎日いつ咲くかと楽しみに待っていたネムノキの花。昨日1輪咲いているのを見つけました
なんて綺麗なのでしょう