母を送る日々 | よさこいの夏

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2023年12月からこちらへ引っ越しました。

5月7日にグループホームから救急搬送された母。

5月5日の子どもの日のイベントには普通に参加して車椅子でリビングでご馳走をいただき元気にしていたそうですが、翌日から血圧が上がりその日はベッドに横になって過ごしたそうです。

その翌朝から意識がなくなり、救急搬送することを電話で伝えられました。

引受先は近大さやま病院

その連絡を受け、近代さやま病院に向かったのは10時過ぎでした車


検査の結果、マヒ性イリウスによる敗血症ということでした。

医学的知識の皆無な私は、先生からそう言われても「それ何?」みたいな状況でした。

酸素吸入や抗生剤、血圧を下げる薬を点滴で受けながら、「うちは緊急性の高い患者しか入院できないので、状態が落ち着いたら転院してもらうので、今から転院先を探します」と言われ、

「へえ~、これは緊急性が高くないっていうことなのか?」と思ったり・・・マヒ性イリウスとは何か?、敗血症が何か?

それさえもよく分からずに「はあ、そうですか~?」としか答えられなかったあせる

要するに大腸が動かなくなっている状態で、尿路感染した結果、全体的な機能不全が起こっている状態だったようです。

認知症もあるので、そうすぐには転院先も見つからない。今の状態で動かすのは危険、ということで15時ごろにやっと取り敢えずはそのまま近大さやま病院に入院させてもらえることになりました。

あ~、よかったお願い

3週間後の28日に家の近くの阪和第一泉北病院に転院しました。

人生の終末期を過ごすお年寄りの療養型病院ですが、ベッド数は1000床もあるという大きな病院。

母は近大さやま病院に入院2日後には、右足に血流がなくなる状態になり、今後は足が少しずつ壊死していくことになると宣告されました。

87歳になっている今、その血流を蘇らせる手術も、血液をサラサラにする薬と血管を拡げる薬を併用するにもリスクは高く、勧められないということです。

阪和第一泉北病院に転院の日。

近大さやま病院に入院以来、面会禁止状態で母の顔を見ることも叶わなかったので、3週間ぶりに顔を見ることができて、搬送の救急車にも同乗させてもらいました。

38.5℃の熱がありましたが、周りをキョロキョロと見回して、私の声掛けにもこちらを見たりしてなんとなく分かっているような・・・。

「お母ちゃん、ドライブやなあ」と言いながら20分ほどの移動。

阪和第一泉北病院では、最初に担当医の高齢の先生から、延命治療をどこまでするか?という確認をチェックシートを見ながら細かくされました。

2007年に母の言うことをそのままパソコン入力した「いざという時の覚え書き」の中に、「自分で判断したり意志を伝えられない状態になった時には、一切の延命治療は行わないで欲しい」という文があったので、それを先生に見せながら、自然の経過を見守るのみということでお願いしました。

母が入院して以来、心がザワザワと落ち着かない日々ですが、不思議なことに、次から次へと「今日しておいた方がいいこと」が天から降ってくるかのように思いつき、ゆっくりと準備をしています。

まるで母が私に指示を送ってきているような気がしています。
そして、きっと何もかもがちょうどいい塩梅に決めて行けるように手配されているんだと思えます。

グループホームでもコロナ禍に入ってから面会が制限されたり、近大では面会禁止だったりしましたが、阪和第一泉北病院では毎日予約もなしに面会できます。

2015年に寝屋川から堺に引っ越してきて以来、こんなにも母の顔を毎日見に行くことも初めてです。

「これはお母さんの最後にちゃんと向き合うチャンスをもらってるということやから、今は自分のことは置いといて、後悔のないように看てあげてよ」とわざわざお電話をくださった方がいました。この言葉さえも神様からのメッセージだったかなあと感じています。

母を見送る日々・・・。

早朝ウオーキングの時間の空の綺麗なこと、

小鳥のさえずり、

孫たちがくれる可愛い笑顔や優しい言葉・・・。

ご飯を丁寧に作ること。

絵を描くこと。

母のことを進めていく合い間の小さな出来事にふっと心癒される瞬間に感謝しています。