一言、もの申したい! | 卵巣がんを乗り越える!

卵巣がんを乗り越える!

2014年3月、35歳で突然の卵巣がんⅢcの診断。
前向きに戦っている先輩方のブログに助けられ、今の私があります‼
術前TC、免疫療法、術後TC、+アバスチン、陽子線治療、ドキシルを経て、現在はジェムザール+アバスチンで再再再発治療中。
もうすぐ5年目突入♪

再発後のマンスリーTC3クール 後、
2日目の土曜日かお

1、2クール目は翌日から
ひどい吐き気や胃痛に悩まされたのですが、そんなことは全くなく苦笑
イメンドすら飲み忘れるほど元気だったので、諦めていた
『ニャンコ先生の特別医療講演会』
に急きょ参加してきましたマリオ

だって、あちこちから、会いたい人がたくさんいらっしゃるっていうんだものーじゅる・・
不謹慎かと思いますが、半分くらいはそちらメインのつもりで、行きました。

というのも、実は、ニャンコ先生のご講演は2回目の参加の私。
患者に寄り添い、標準治療をメインに、ご自身の専門であるカテーテル治療を含めた最善の治療を提案してくれそうな先生だなぁ、と感じていました。
医療者として、たくさん引き出しをもっていることが大切、とおっしゃるのも、いいなぁ、と。
患者だって情報をたくさん(正しいものがもちろん良いですが)持っておくことは必要だと思いますし。

でもね、ひとつだけ。
私、『共存』という言葉がどうも腑に落ちないのです汗むしろ、嫌いなレベル。
ちょっと前からブロ友さんともお話ししていて、なにかいい言葉がないかと、考えているのですが。

ニャンコ先生のブログには、『共存』という言葉が時々出てきます。
先生が信頼されているというK先生も使っておられる言葉ですし、分かりやすい、きれいな言葉だと思います。
医療の世界では、普通の言葉なのかも。

けど、「私は共存なんて許した覚えはない!」と怒りが沸々わいてくるのです。
そもそも、ヤツは共存なんて望んでなくて、スキがあろうがなかろうが、侵食してくるわけです。
それって、『共存』じゃないでしょープンプン
だから、『上手な共存』とか言われると、『治らない』『がん』を、押し付けられている気持ちがしてしまいます。
       
『がんである自分を受け入れる』ことは、苦しいけれど、治療の大前提かと思います。
そこは、否定したらいけないと思う。
正しい治療ができなくなっちゃうもの。
難しいけど、不安で苦しいけど、
『がん患者』でありながらも、がんにとらわれすぎない生活をする、というのが大切だと思う。
でも、その『(再発)がん患者である自分』を受け入れて、毎日をよりよく過ごすための治療を選ぶことと、『がんとの上手な共存』とは、私のなかでまだうまく繋がりません。
できることなら、出ていってほしい。
そんな気持ちまで否定されるようで嫌なのかもしれません。
たかが言葉ひとつに、こだわりすぎかもしれないけれど。
でもさ、言霊、信じてるから、大事にしてほしい!


というわけで、ニャンコ先生には『共存』という言葉について、お考えを聞いてみたい、という目標も持って、講演に参加させていただきました。
質問があれば、と配布されたアンケート用紙に、ちゃんと書いたよーかお
そして、会も盛況でたくさんの質問があり、短い時間のなか、ニャンコ先生、取りあげてお答えくださいました。

「自分(ニャンコ先生ご自身)としても、この言葉で良いのか迷うことがある。良い言葉があれば、教えてください」と。

実は、ブログでは『共存』という言葉をまだ使っておられるので、私としては十分に納得できたわけではないのですけど(え、しつこい?苦笑)、威圧するのではなく、バカにするのでもなく、丁寧に患者の想いに向き合ってくださる姿勢は、やっぱりいい先生なんだな、と感じられました。

しなやかに、という言葉が一番ピンときてるんですが、伝わりにくいかしら。
私のモヤモヤ話、長々と、読んでくださってありがとうございました。
なにか、良いお知恵があれば、ぜひ教えてください苦笑