デジャヴ・・・? | Way to Anything

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大阪でOLしてます。たまに旅行も行きます。
休日はカフェで過ごすのが好き。習い事は、茶道・華道。興味あること、好きなことを書いています。

個体発生は系統発生を繰り返す

というのを生物の授業でならった。

赤ちゃんは、お腹の中で、人類がたどってきた進化の過程をたどる、というものだったと思う。

つまり、生命が海で誕生し、陸に上がり、猿からヒトヘ(ものすごく端折ってますけど)
この過程を、たどっている、というのだ。

だから、初期の赤ちゃん(といっていいのか)にはエラがあり、しっぽがあり(あるのか?私は確認していないが)
それが消えていき、「ヒト」の形をしてて生まれてくるという。
(学者先生がきいたら怒りそうなくらい適当に書いている。すみません)

母親である私は、そこまでの歴史(?)を意識下でたどることはできないけれど
妊娠して体が変化していく自分を見て、なんというか、初潮が始まったころの自分を思い出していた。

妊娠しようと思ったのは自分の意思だが、妊娠してからの体の変化は自分の意思で起こっているわけではない。
悪阻でしんどいこと、胸が張っていくこと、お腹が膨らんでいくこと、ホルモンバランスが変化していくこと・・・、
あげたらキリがないが、妊娠から出産、そして出産後に向けて、体は自分の意思とは関係ないところで変化していく。

これはどこかで経験したことがある、と思うとそれは初潮の経験ではないかと思った。
生理が来てほしいなんて思わなくても、その日はやってくるのである。
日々のほほんと過ごしていても、女性に産まれてきた体は子供を妊娠できる体へと変化させていたのだ。
そこに自分の意思などあるはずもない。

妊娠中の体の変化と、それに追いついていない心のギャップは、初潮を迎えた頃のの自分と酷似している。
記憶の中に埋もれていた、あの頃の自分と対面するはめになってしまった。
というか、なんかデジャヴ・・・?

これは、出産後にお乳を赤ちゃんに与えた時もあった。
「お乳が出ている。そして、授乳している!」
当たり前というば当たり前なのだが、当たり前のことに感動した。
だって、お乳を出そう、なんて自分は一ミリも思っていないのに、ちゃんとお乳が出るのだ。

社会では男女差について云々カンヌン(濁してすみません)だが、
女性に産まれたことの体について、こんなに認識させられたこともないような気がした。

生まれてきた赤ちゃんも女の子だったので、
「(女ということは)お前も子供を産み、お乳を与えることのできる体なのだよ」と思った。

もしかして未来では、男性も出産したり、お乳をあげたりできるようになるのだろうか。
そしたらもっと産休とか育休とか取りやすくなりそうだ。