知覧特攻平和会館を後に、バスで10分程の距離にある、「富屋食堂」に向かいました。


ここは、特攻の母と呼ばれていた鳥浜トメさんの資料館です。


中は、当時の富屋食堂の様子が復元されています。


当時、特攻隊員達が心を許せる唯一の憩いの場だった富屋食堂。「小母さん、小母さん」と、特攻隊員達に慕われてきたトメさんと隊員達の絆が残されています。


会館とは違い、2階建ての小さな食堂(兼トメさんの住まい)ですが、当時の様子や、特攻隊員達の素顔、様々なエピソードなどが残されており、より深く心に突き刺さるものがありました。


お国の為にと、命をささげ、日々厳しい訓練にいそしむ特攻隊員達も、トメさんに対しては、「大福が食べたい、おはぎが食べたい」と甘えたり慕っている様子が、何だかほっとする反面、そんな若者達が・・・という気持ちが強くなります。


特攻に行く前日には必ず、「小母さん、明日行ってきます。小母ちゃんお元気で」と、隊員達が今生の別れの挨拶をしに、富屋食堂にやってくる。


今まで我が子のように大事に思ってきた息子達を、明日自らの命が絶たれるのを送り出すという気持ちは、一体どれだけ辛いものだろうと・・・と思います。


通常、人の死というのは、いつなのかはわからないものです。


もちろん、自分にとって大切な人、身近な人が、ある日事故や病気、若しくは災害などで、不慮の死をとげたり、心の準備ができていない状態で亡くなったとしたら、とてもとても辛いものですし、「もっと〇〇してあげたらよかった・・・」と、自責の念に駆られることもあるかもしれません。


トメさんの場合、明日確実に死ぬことが分かっている人が目の前に立っているのです。特攻隊という特殊な環境で、お国の為にという前提があり、受け入れるしかない気持ちや、色々な覚悟はあるのかもしれません。


しかし、目の前に立っている凛々しく逞しい若者が、明日はこの世にはいないという事、明日確実にこの世からいなくなってしまう・・・、もう二度とここに訪れることはないのだ・・・と思いながら送りだすというのは、一体どんな気持ちなのだろうと思います。


今まで賑わっていた食堂が、襲撃の後はがらんとしてしまう。賑やかな旅行客が帰ったというわけではなく、その人達はもうこの世にいない。しかも、一人一人我が子のように接してきた若者達。


そのような体験をしてきたトメさんだからこそ、一つしかない命を投げ捨てて散って行った若者達の事を忘れてはならない、戦争を二度と繰り返してはいけないと、戦争の悲惨さを後世に伝える為に、若者達の死を無駄にしないようにと、若者達が国の為に命をささげたように、トメさんは死ぬまで、特攻隊達の為に捧げ続けただと思います。


特攻隊というのは、戦争が生み出したの大きな悲劇の一つだと思いますが、実際には、本当に本当に沢山の人達が、誰に知られることもなく、名前や写真が残されることもなく、もっと無残に命を落としていった人達が、無数にいるのだと思います。


トメさんと特攻隊員達のエピソードがまとめられた本です。


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