もう16年前になるのですね・・・

普段はもう、あまり思い出すこともなくなっているのですが、

毎年1月17日は当時の事を思い出します。

震災の時、私は西宮に住んでいました。

まだ辺りは真っ暗な早朝、突然激しく突き上げるような地震がありました。

一瞬の出来事で訳がわからず、気がついたらたんすの下敷きに

なっていました。野生の本能は凄いもので、仰向けに寝ていた私は

一瞬の判断でうつ伏せになり、布団にくるまったお陰で、

幸い大きな怪我はありませんでした。


ただ、辺りはまだ真っ暗で、コンタクトを外しているので、何も見えないし、

ガラスの破片がそこらじゅうにちらばっているので、明るくなるまで

その状態のまま、待機していました。

声を掛け合い、家族の無事を確認して、ようやく夜が明け始めると、

その大惨事に頭が真っ白になったのを今でも覚えています。


当時住んでいた家は、半壊ですみ、家族も皆、無事でした。

しかし、自宅の周りでは、全壊した家が沢山あったり、ご近所の方の中にも

亡くなられた方がいたり、それはそれは酷い状況でした。


実はその家は、震災の約2週間前に家族で引っ越した所だったのです。

生まれた頃からずっと住んでいた以前の自宅は、後に訪れてみると

見事に全壊していたのです。 引っ越していなかったら、

家族の誰が亡くなっていても、全く不思議ではない状態でした。

しかも、引越しをした理由は、当時父の仕事の状況がどんどん悪くなり

家賃が払えずに、その家に住めなくなり、わかりやすく言うと

追い出された同然の引越しだったのです。


なんとも複雑な心境でしたし、当時は、「なんと、悪運が強い」と

思いましたが、今考えると、父が沢山借金をして、

沢山徳を積んでくれていたお陰なのだと思います。

その時に、「これは、きっと与えられた命なんだから、

人の役に立てる事を私はしなくちゃいけないんだ」

と感じたことを覚えています。


家中の食器が全部割れたのに、唯一割れなかったのが、

モロゾフのプリンの空き瓶で、形あるもののはかなさを感じたり・・・。

借金だらけだったお陰で、命が助かったという何とも皮肉な出来事や、

水道、電気、ガスのない生活をすることで、

今まで有り難いと思ったこともない事に感謝が出来たり、

今も振り返ると、当時の色んなことを思い出します。


大変な経験でしたが、自分の人生にとっては、とても貴重な体験ですし、

大きな影響を与えていると思います。

そして、こうやって振り返ることが出来るということは、

今自分がとても恵まれていて、幸せだからであるわけですから、

両親、周りの方々、そして、世界に感謝をしなくてはいけないなと

本当に強くそう思いますし、過去様々なピンチで、色んな人に

助けられてきましたから、世の中に恩返しをしていくのが、は

必然なのだろうと思っています。