the art,music and subculture.

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趣味に関する日記というか記録というか、そんなとこです。

 
ベルナール・ビュフェって、どこかで観たことがあるなー
 
 
ちゃんとした展覧会とかは観たことはないけど、なんかどこかで⋯
 
うーん🤔
 





て、思ってたら、急に謎が解けた。


 下矢印コレやん😃
 

 
 
 
 
阪急電鉄が運営してる、阪急三番街の壁の絵の人やん。
 
 
阪急沿線で生まれ育ってこのモチーフを何年も見てきたのに、今もしょっちゅう見てるのに、今回の展覧会とすんなり結びつかなかった。
 
 
不覚……😓
 
 
というわけで、どんなオッチャンが描いてたのか、興味津々で行ってきた。
 
 
 
あら、シュッとしたえーオトコやん❤️
(『シュッとした』は関西のスラングです)
 
 
今回はこの画像の引用元でもある、静岡県のベルナール・ビュフェ美術館の所蔵品から60点が展示されていた。
 
 
ちなみにベルナール・ビュフェ美術館は、世界で唯一の彼専門の美術館で、本人も何度も訪れたんだって。
 
 
で、この展覧会は、結論から言うと、
とても良かったです。
 
 
一定の年齢層なら、どこかでなんとなく彼の作品を観たことがある(気がする)人は多いと思う。


だから、観ると「あ、なるほど〜」てなると思う。
 
 
私もなんとなくは知ってた。
少なくとも、うーん⋯画風と作者名が一致するかな⋯くらいには。
 
 
しかしと言うべきか、なのにと言うべきか、何だかいろいろと謎が多い。
 
 
私は自分が気になった作品の作者の人物像を知りたい派なので、必ずとりあえずはWikipediaを参照するんだけど、驚くほど記述がアッサリしていて情報量が少ない。
 
 
 
  • 15歳で美術学校に入学したけどすぐに退学、その後は独学で絵を描いていた
  • 1948年に20歳で権威ある賞を取るが、その前から天才の呼び声高く、絵は売れるし個展を開いてもいた
  • 受賞を機に一躍フランス画壇の寵児になった
  • 抽象画全盛の時代にあって具象画家の代表と目された
  • 当初はめっちゃもてはやされたけど後年は手のひら返しで批判された
  • 生涯で8000点と多作
  • 親日家で、何度も来日
  • わりと最近(1999年)まで生きていた。ただし最期は自死
 
⋯くらいのことは他のサイトに落ちてた情報を取り急ぎかき集めたらわかったけど、そんなにWikipediaを編集してもらえないくらい実は嫌われてたの?😅
 
 
結構美術展に通い詰めているわりに、私の彼の作品をたぶんこれまで一度も観たことはないと思うし。
 
 
まぁ、作品が素晴らしければ別にいいっちゃいいんだけど、やっぱりもっとちゃんと知りたいなぁ……
 
 
と、いうわけで。
 



図録を買ってしまったーーーー😅😅😅
装丁もスタイリッシュでステキだし⋯⋯
(横にいるのはうちのニコボ)
 
 
実は、図録はもう増やしてはいけないと最近は買うの控えてたんです。
本棚が限界で😰


でも今回は軽い紙質だし⋯謎も多いので⋯あの⋯その⋯
 
 
てなわけで❗️😅
買ってしまったので❗️😅
 
 
これから熟読して彼に迫りたいと思います❗️
 
 
 
《蝶、サクランボとスミレ》1990年
冒頭の阪急三番街の壁の蝶の下絵。スミレは阪急電鉄グループにとって象徴的なモチーフ。(宝塚歌劇団)



追記 NEW

おかげさまでその後、彼に迫りまくりました❗️
図録の説明文読んだりGeminiに情報収集頼んだりして😁


ビュフェの父親は実業家で多忙で、ほぼビュフェとは接点がなかった。
唯一の心の支えであった母親はビュフェが17歳の時に亡くなる。


この喪失体験が内面の孤独を深めるそもそもの要因になったという。


ビュフェは母を亡くしたショックで美術学校を辞めてしまう。


その後は、元々内向的なこともあり、ひたすらキャンバスに独り向かい続けた。


こうした孤独な精神性は、彼独特の表現=暗い色調や硬く鋭い線描写として表れた。


この表現は当時の戦後の虚無感や不安な情勢にピタリとマッチして、「天才」ともてはやされた。


作品は飛ぶように売れた。
豪華な城を買い取って自宅にできるくらい。


けれど時代が安定してくると「商業主義的だ」などと今度は猛然と批判された。
「20歳で天才、30歳で成金、40歳で過去の人」と揶揄され、彼は内面の孤独をますます深めた。


彼はアナベルという生涯のミューズを妻に得たが、それでも埋められなかった何かが彼の中には常にあった。


その何かを具現化するのがまさに彼の作品だったわけだが、晩年にはパーキンソン病で手が震えて絵筆を持てなくなった。


絵を描くことが生きることそのものだった彼は、「絵を描けない自分は自分ではない」と絶望した。


そして、自ら生命を絶った。



妻のアナベルさんの心境とか言い分を次は調べてみたい。


愛する人が自分と一緒にいても孤独を感じ続けていて、絵を描けなくなったら自分を置いてさっさと死んでしまう。


私って何だったの?

って私なら悲しいより腹立つかも😓


ま、莫大な資産を残してくれたの(か?)ならいいけど。



それに、悲劇っぽい生涯に見えるけど画家としてはトントン拍子だし、天才だ、蝶よ花よと法外な富と名声を手に入れたんでしょ。

美人で有能なヨメにも、ヨメのおかげで家族にも恵まれたんでしょ。



孤独だか何だか知らないが、一体何が不満なんだ。



と、凡人な私はぶっちゃけ思ってしまいます😅



が、それでものっぴきならないのが天才ゆえの苦悩というもの。



そこから生み出された彼の芸術作品に対しては、まだまだ興味が尽きません。



次にベルナール・ビュフェを観るときは、もう少し違う、もしくは深い視点で観ることができると思います❗️