『my story 誕生〜幼少期編』
昭和54年2月25日(日)
私は、母の故郷である熊本県で生まれました。
2600g弱の小さな女の子
色は白く
手足は長く
お目目はぱちくり二重
顔は小顔で
なんと天使のような...将来はピアノでも弾くのかしら...
なんて言われていたようです。
(どこがどーなって今の姿に変化を遂げたかは、追々....笑)
そんな私が18歳まで暮らしていたのは、福岡県の田川市というところ。
市内から、電車で1時間、最後は1両列車となります。田舎万歳!
福岡県内でも、「出身は田川です」というと、
「あ〜 」っと
その場の空気が変わるような、
独特の雰囲気のある、
アンニュイな町でした。(どんな・笑)
昔、炭鉱でとっても栄えた町、
そう、少し元気な勢いのあるお兄さん達が多い町ですねw。
「🌝月が出てきた〜月が出た!ヨイヨイ♪」でおなじみの、
炭鉱節は、まさにここが発祥の地なのです。
運動会の終わりには、必ず炭坑節でしめます。
↑これが全国共通だと思ってました。
もちろん、幼少期の私はそんなことは、知る由もなく、
勢いがあって、みんな家族!みたいな優しいこの町が大好きでした。
私は、小さな商店街の呉服屋の娘。(小さな頃は、着物屋さんだったな)
目の前は、八百屋さん、果物屋さん、魚屋さん。
毎朝、シャッターのガラガラーの音で目覚め、
ダミ声のおっちゃんの、
「いらっしゃーい、いらっしゃーい安いよ〜お買い得だよ〜」の声が響き渡る世界。
もちろん私の遊び場は、この商店街。
八百屋に行っては、勝手におまけをつけて売りさばき
果物屋に行っては、これ食べたいな...と桃や林檎をおいしくいただき
乾物屋に行っては、「小さいき、大きくならないけん!」と"いりこ"を沢山もらい
お肉を買いに行けば、コロッケもついてくるという、
歩けば、両手いっぱいのお土産を持って帰宅しておりました。
この頃から自然と、
笑顔コミュニケーション力が身についていたのでしょうね(^^;)
そんな私が、幼稚園の頃、
大大大事件が起こります。
いつものように、自分の店(家)から勢いよく駆け出した私!!
車やバイクが通行禁止のこの道の向こうから、猛スピードのバイクが!!
まさかの....
.......衝突
父や母の前で、宙を舞いました。
この宙を舞った記憶は、なんとなくあります。人間の脳ってすごい。
そして、そのあと、母に抱えられている記憶もあります。
その絵が今でも浮かびます。
ただひとつ母に抱えられ運ばれている時、
泣きながら何かおしゃべりをしていた私。
全く覚えていない。
なんて言ってたのか?
母は鮮明に覚えていました、いや忘れられないのでしょう。
額から出血しながら、私が放った一言。
「ママ、あたち、明日、新聞にのるかな?」
「ママ、あたち、明日、新聞にのるかな?」
「ママ、あたち、明日、新聞にのるかな?」
えーーーーーー え?痛くないの?なんで?ほんとそれ?
大人になったのち、この話を聞いた時、驚きとともに震えました。
そして幼い自分に、あっぱれと拍手を送りました(笑)
怪我そのものは、お陰様で大したことなかった私、
次の日も朝から、新聞を確認せよと、大人に命じていたらしいです。
のるわけないやろ。
この頃から、目立ちたがり屋だったんでしょうか...
これは目立ちたがり屋?なのか。
新聞にのりたい、ってどんな気持ちなんだろう。
末恐ろしいわ(笑)
そうそうこの頃、もちろんのこと音楽、歌にも目覚め「町のカラオケ大会」に、わいわい出場しておりました。
その模様は、小学生編でお届けします。
お楽しみに。
SACHI-eのmy story
・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・
【SACHI-e公式LINE@】
LINE検索からも可能です!!
→ @sachi-e
【Instagram】
歌、声、ライブのアカウント→ @sachie_singer
親子向けレッスンのアカウント @sachie_babyvoice
プライベートアカウント→ @minisachie
・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・