敏感なカラダ、敏感なココロ
鈍感なカラダ、鈍感なココロ
人はいろいろな組み合わせで持っている。
たとえば精神的なストレスで、すぐ体調を崩す人は、カラダが敏感。
人から言われたことで、よく傷ついてしまう人は、ココロが敏感。
カラダが丈夫で、無理させても平気な人は、カラダが鈍感。
悪気はなくても人の気持ちがわからない人は、ココロが鈍感。
敏感だから良くて、鈍感だからわるい、ではなく、ただの特性。
その人に必要だから、その組み合わせを持って生まれてきたのかなーと考えた。
敏感なココロを持っている人は、たとえばアーティスト。
詩だったり絵画、音楽など何か創造する時に、その感受性の強さが役立つ。
敏感なカラダを持っている人は、何かの過敏症だったりアレルギーを持っているので、その敏感な身体センサーで、
安全な食品や化粧品を教えてくれる。
鈍感なココロが役に立つ仕事もある。
私が思い浮かぶのは医師と看護師、そしてカウンセラーやコーチ。
「一番、思いやりが求められる仕事なのでは?!」と思うのが一般的だけど、
実際、デリケートな心の人は、あまり役に立たないと思う。
気の毒な患者さんは沢山いる。いちいち同情して泣いていたら、仕事にならない。
私の独断だが、特に小児科の医師に求められる資質なのかもしれない、と病院で付き添っていて感じた。
私のように人の話を聴く仕事も、ココロが敏感すぎると、やっていけない。
攻撃的な人もいれば、重たい話もある。
ある意味、鈍感でないと身がもたない。
私の師は「同情はするな、共感しろ」と教えてくれた。
一緒に暗い気持ちになって、泣いたりするのが「同情」
相手の気持ちを理解し、相手のために何ができるのか考えるのが「共感」
「助ける」人間は、一緒にドツボにハマってはいけない、という教えだ。
最後に鈍感なカラダが役に立つのは、スポーツマンや力仕事をする人たち。
過酷なトレーニングや重労働に耐えるのは、敏感なカラダには難しい。
敏感、とは感度の良いセンサーを持っている、ということ。
鈍感、とは耐久性があって強い、と言い換えることもできる。
人にはそれぞれ生まれ持った役割(仕事)があって、
それに必要な感度のカラダやココロを持って、この人生を生きているのかもしれないなぁと思った。