また、やってしまった。




私には

誰かを変えてあげることなんてできないのに。




傲慢にも

助けてあげたい、

助けてあげられるかも、

と思ってしまった。





人は

その人自身が気づかない限り

変わらない。



それを痛感する出来事。


痛すぎてヒリヒリする。




どうして私がここまで攻撃されないといけないのか?



悲しかった。

悔しかった。




可哀想な人。

可哀想な人。


人を攻撃することでしか、

自分を守ることが出来ないんだ。







でも。




少し前の私もそうだった。


人を責めることでしか

感情を表現出来なかった。




あなたのせいで、

あの人のせいで、

社会のせいで、

この世界のせいで、



だから私はこうなった、

不満だ、

腹が立つ。



そんな状態だった。






でも、いまは、



寂しかった、

悲しかった、

悔しかった、

怖かった、



そして、

嬉しかった、



そういう気持ちを

言えるようになった。




自分の中の

その気持ちを

見つけてあげることができるようになった。



認めてあげられるようになった。




それが出来ない時は


怒ることしかできない、


人を責めて

全て人のせいにすることしかできない、


それを私は知っている。





自分の言葉で人を変えようとしていた、

自分の傲慢さを痛感しながら


この人には何を言っても

無駄なんだ、


私の言葉は

この人には届かないし


この人自身が気づくことでしか

この人は救われない、


そう悲しい気持ちでいたら、




あれ、もしかして


私が、

この人の問題に巻き込まれているんじゃなくて


この出来事も


わたし事、なんじゃないのか、

って気づいた。





私が

気づくために起きた出来事。




まだ、私は

人のために、を基点にしようとしていたから。




最近も

「これって誰かのためになるかな?」

と思って発信していたんだ。




誰も、求めてないから、それ。




「人のために」って本当に不毛な動機。




本当に、本当に、

自分から溢れた分しか

お裾分け出来ないんだ。




だから私は

「人のために」っていう気持ちを

捨てよう。






私から見えている私の人生、


私が経験しているいまの出来事を


わたしの言葉で

ただ、実況中継すること、


そして、わたしの感じた気持ちを表現すること。



それが、私の出来ること。




「かとうちさと」というテレビ局で

私の中で育っていることを

ひとつひとつのチャンネルで

放送すること。




それを観るも、観ないも、

他人の自由。



好きも、嫌いも

他人の自由。



ただ、ただ、

私は放送するだけ。



表現するだけ、なんだ。





それに気づけた出来事だった。


とっても、痛かった。


胸が、心が。


でも、その痛みがなければ

気づけなかった。


また、同じことを繰り返すところだった。



ここまで来たら、

あの人に向けても

「ありがとう」

と思えた。


どうぞ、あなたにも

その苦しいところから抜けるきっかけが

訪れますように。


気づきが起きますように。


私には離れて祈ることしか出来ないけれど。


あなたの幸せを願っています。