B病院での日々は、決して平坦な道のりから始まったわけではなかった。息苦しさと痛みに耐え、点滴から痛み止めを流し込みながらのスタート。採血や栄養相談、車椅子での歯科受診と、ただスケジュールをこなすだけで精一杯だった。
リハビリも過酷さを増し、ST、OT、PTの先生方に支えられながら、ベッドに左向きに座る練習や、両側から降りる練習を重ねていった。しかし、現実は想像以上に厳しい。いざ歩行器に触れて立ち上がろうとしても、腰が鉛のように重く、どうしても持ち上がらないのだ。結局その日は断念し、ストレッチャーで運ばれながら部屋に戻った。頻脈が打ち鳴らす胸の奥で、「どうして動かないんだろう」というもどかしさが渦巻いていた。
それでも、私は諦めたくなかった。ベッドの上で、ボールを「ニギニギ」と握る運動だけは手放さなかった。動かない体への悔しさを、この小さな指先の動きに託していたのかもしれない。
そんな張り詰めた日々に、小さな光が差し込んだのは10月も中旬に入った頃だ。気管切開後からずっと私を守ってくれていたガーゼがついに取り外され、久しぶりに喉にスッキリとした心地よい空気が通った。少し余裕が生まれた私は、プレミアムビデオで映画を観たり、パソコンを開いたり、YouTubeを楽しんだりできるようになった。そして何より、大好きな編み物にもう一度手を伸ばすことができたのは大きな喜びだった。夜中に2時間弱で目が覚めてしまい、追加の睡眠薬に頼る日々ではあったけれど、日中に「自分らしい時間」を取り戻せたことは、心にとって間違いなく一番の特効薬だった。
熱が37度台に上がった日は無理をせず、ベッド上でのストレッチを中心に過ごした。喉の痛みが気になった時には、自ら主治医に甲状腺の検査や肺のレントゲンを依頼することもできた。褥瘡(床ずれ)を防ぐために、自らこまめに体勢を変える。自分の体の声に耳を澄まし、必要なケアを自分から求めること。これもまた、治るためには欠かせない「自分の力」なのだと気づかされた。
編み物やパソコンで手を動かし続けた結果は、意外な形で現れた。リハビリの時間、腕の力が自分でも驚くほどについていたのだ。そしてついに、PTの先生と一緒に「立つ練習」をすることができた。歩行器の前で立ち上がれずに絶望したあの日から、私は着実に前へ進んでいる。自分の体が持つ本来の回復力に、私自身が一番勇気をもらっていた。
明日からは、再びA大学病院への転院が控えている。B病院で流した悔し涙も、ボールを握りしめた小さな一歩も、すべてが私を支える力になった。ここで蓄えた確かな力と、少しずつ戻ってきた「私らしさ」を胸に、次の扉を開けようと思う。
