生体肝移植を超えて~劇症肝炎(急性肝不全)になってリハビリまでの様子、以後の日記を書きたいと思います。
春の陽気と「鬼のパンツ」と「貼り絵」節外れの夏日となった日曜日のことでした。私は理学療法士(PT)さんと一緒に自分に合ったカートを選び、ついにC病院の外へと足を踏み出しました。入院し初めての外出です。上着がいらないほどの暖かな陽気のなか、病院の周囲400メートルをぐるりと一周しました。久々に感じる外の空気と明るい日差しに、私の気分はすっかり上々でした。病室に戻ってからも、前向きな気持ちのままリハビリに取り組むことができました。作業療法士(OT)さんとは、腕を前に伸ばしたまま腹筋を使って10秒間姿勢を固定する訓練や、水を張ったジョウロで野菜に水やりをするという、生活に根ざした練習を行いました。肩のストレッチで心地よく体をほぐした後は、再びPTさんと共にリハビリ食堂を5周歩き、足首を入念にストレッチしてその日の訓練を終えました。翌日の月曜日は、さらにしっかりと体を動かす一日となりました。PTさんの指導のもと、かかと上げを50回(10回×5セット)、胸の前で手を組んで48センチの高さから立ち上がる動作を50回(10回×5セット)、そして自転車こぎを10分間こなしました。OTさんとの時間でも、太ももにボールを挟んでの足上げを100回(10回×10セット)行い、合間に再び10分間の自転車こぎを挟むという充実したメニューでした。決して楽ではありませんが、着実に体が動くようになっている確かな手応えを感じていました。そしてこの日は、ただ体を鍛えるだけではなく、心弾む時間もありました。OTさんと一緒に、病院の催し物に向けた「鬼の貼り絵」を完成させ、さらにはミシンを使って「鬼のパンツ」を縫い上げたのです。みんなで力を合わせてひとつのものを作り上げると、なんとも素敵な作品ができあがるものでした。いよいよ明日は、その病院の催しの本番です。心地よい疲労感とともに、私は明日への期待に胸を膨らませていました。
病院での生活の中にも、楽しい目標や日々の確かな成長があります。病院で2月17日と18日に開催される催し物に向けて、少しずつ準備を進めているとこ ろでした。 2026年2月13日は、催し物で使う「鬼のパンツ」の制作に取り掛かりました。チャコペンで印をつけて布を裁断し、ミシンがけをしていくと、少しずつ鬼のパンツの形が見えてきて、なんとも言えない達成感がありました。翌14日には、筒に赤い色紙を貼り付ける作業も行いました(後に鬼の折り紙で作った張り絵になります)。ただ座って作業するのではなく、あえて立って貼り付け作業を行うことで、これも良い運動になっていました。勿論、本来の目的であるリハビリにもしっかりと励んでいました。リハビリでは13日は、血圧と血中酸素濃度を測定しながら、杖をついて食堂の小回りを3周をしましました14日には、「オールインワンリハビリ」として廊下を2.5周歩き、その後はスクワットを10回×5セットこなしました。このとき、しっかりと呼吸を意識することが大切でした。そして最後にもう一度、杖を使って食堂の周りを3周歩き切りました。こうして毎日体を動かしているおかげか、最近では運動後に心拍数が上がっても、すぐに落ち着いて元の状態に戻るようになってきました。体力や心肺機能が少しずつ、でも確実に回復しているのを感じて嬉しくなりました。制作に関わった催し物はいよいよ17日と18日に本番を迎えます。手作りの道具たちがどんな風に使われるのか、とても楽しみでした。
〜12時間の手術を越え、一歩ずつ取り戻す私の日常〜かつての私にとって、車椅子に乗ることさえひとつの「夢」でした。頭がクラクラすると思うほどの、12時間にも及ぶ過酷な手術。それを乗り越えた今、私は自分の身体を取り戻すためのリハビリの日々を送っています。2026年2月11日のリハビリでは、台に片足ずつ乗せ、反対の足でかかとを上げる運動から始まりました。続いて、杖を突いて6分間でどれだけ廊下を歩けるかの計測。車椅子を夢見ていた頃を思えば、自分の足で歩くテストは、私にとってはひどく難易度が高い挑戦でした。実際、杖を使って歩くとわずか100メートルでふくらはぎやお尻に痛みが走ります。しかし、「オールインワンリハビリ」という器具を使うと、不思議とその痛みが出ないのでした。これを使って食堂の小回りを3周、200メートルを歩き切りました。腕につけたスマートウォッチは私の歩調が遅いせいか歩数のカウントがどうも鈍いけれど、確実に私は歩みを進めていました。翌日も同じようにオールインワンリハビリで200メートルを歩きました。周りを見渡すと、これを使ってずっと歩き続けている方もいるようです。今はまだ器具の助けを借りていますが、いずれはしっかりと杖を使って歩き抜き、持久力をつけていかなければと心に誓っていました。リハビリは全身運動だけでなく、指先やバランス感覚を取り戻すための細やかなものもあるようです。 立位を保ちながら、一枚の折り紙をはさみで5ミリ幅に切る訓練。ただ切るだけなのに、全身から汗が噴き出し、自分の“弱っちさ”を痛感しました。たった一枚を切り終えるのにも、たまらず一度座って休憩を挟んでしまったほどでした。翌日には、病院の催し物で使う小物の裁縫を任されました。指先を使う細かな作業は思うようにいかず、何度も針で指を刺してしまいました。さらには、杖と手すりを頼りに病院の階段を昇降する訓練もこなしていました。汗をかき、痛みと向き合い、時には思い通りにいかない身体にため息をつきながらも、私は確実に前へ進んでいました。痛む足も、針で刺してしまった指の痛みも、すべては生きている証であり、再び動けるようになった喜びそのものなのでした。焦らず、急がず、これからも私らしいペースで一歩ずつ、新しい日常を紡いでいきたいと思いました。
2026年2月10日、日常の動作を取り戻すためのリハビリとして、掃除機をかけることから始まりました。いざコンセントを入れようとすると、腰をかがめる姿勢をとることが、この頃の私にはまだ少し難しく感じられました。病院の階段を使ったリハビリでは、掃除機をまるで杖のように前に押し、もう片方の手でしっかりと手すりにつかまりながら掃除の練習をしました。次に取り組んだのはスクワットでした。太ももの筋肉がまだ弱いため、何度も繰り返すことはできません。おまけに、少し動くだけで脈拍がすぐに上がってしまいます。それでも、時間を見つけてはスクワットしたり、病院内をできる限り歩くように心がけていました。窓の外を眺めていると、「早くお外にも出たいな」という思いが自然と湧いてきました。PTさんのリハビリでは、足首やふくらはぎのストレッチもしていただきました。足や指、そして舌の先の痺れは以前ほど酷くはなくなってきていました。気になっていた足の浮腫みも、ずいぶんと取れてきていました。結膜浮腫(白目が浮腫んで水ぶくれのようになる症状)も快方に向かってはいるものの、2ヶ月が経ってからも、完全には治りきっていませんでした。また、治療のお薬であるステロイド剤の影響で顔も浮腫んでおり、マスクがあって本当に良かったと感じていました。C病院では、土日や祝日に関係なく毎日リハビリが続くため、すっかり曜日感覚がなくなってしまった日々を過ごしていました。それでも、身体の小さな変化を感じながら、できることが少しずつ増えていく喜びがありました。焦らず自分のペースで、明日も頑張りたいと思っていました。
年が明けた2026年1月26日、私はB病院からリハビリに特化したC病院へと転院することになりました。ここに至るまでの道のりは、決して平坦なものではありませんでした。体には腸瘻(栄養チューブ)が残り、一生飲み続けなければならない免疫抑制剤があるため、受け入れてくださる病院がなかなか見つからなかったのです。ソーシャルワーカーの方に大変お世話になり、ようやく決まったのがこのC病院でした。お腹にまだ栄養チューブが残っているのは、「もし食べられなくなってはいけないから」というドクターの慎重な配慮からくるものかもしれません。分かりません。今回の病気では、手術をしていただいたA大学病院をはじめ、B病院、C病院と、本当に多くの医療機関でお世話になりました。転院してからの日々は、まさに自分の体と向き合う時間の連続でした。1月27日と28日には、入念な検査と筋肉測定が行われました。翌29日からは本格的なリハビリがスタートしました。5分間の自転車こぎに始まり、かかと上げ、高さ50センチの台で手を交差させての立ち座り、廊下の手すりを使った足の横上げなどを行いました。30日には、ボールを胸と足に挟んで立ち上がる訓練をしましたが、腹筋がなかなか上手く使えず、ボールが前に押し出されてしまうこともありました。筋力の衰えを痛感しながらも、足上げキックやジャンプ、手すりなしでの立ち座りなど、少しずつ体に感覚を覚え込ませていきました。そして、1月31日の土曜日。私にとって忘れられない出来事がありました。朝から入浴指導があり、手術以来、実に半年ぶりに湯船に浸かることができたのです。もちろんこれまでもシャワーは浴びていましたが、お湯を張ったお風呂に入るのは全く別の体験です。最初はこわごわと足を踏み入れましたが、思いのほかすんなりと入ることができ、身も心も本当に清々しい気持ちに包まれました。この喜びを味わえたのも、決して私一人の力ではありません。A大学病院での3ヶ月、そしてB病院での3ヶ月間に及ぶリハビリの積み重ねがあったからこそ、この日を迎えることができたのだと感謝しています。湯船から出る時も細心の気を遣い水圧に負けないように立ち上がりました。入浴後、私は個室から4人部屋へと移りました。それはまるで、少しずつ日常へと戻っていくための、新たな一歩のようにも感じられました。これからも焦らず、一歩ずつリハビリの道を歩んでいきたいと思いました。
2026年1月18日遠方から友人が面会に訪ねてきてくれました。遠いところをわざわざ足を運んでくれた友人の心遣いが、とても嬉しく胸に沁みました。翌19日の14時からは、C病院で夫との面談がありました。この日は、誰の力も借りず、自力で一人で歩くことができました。一歩一歩、着実に前に進んでいることを実感し、心に静かな喜びが広がりました。そして20日は、私にとって記念すべき日となりました。なんと初めて、一人で腕を振って歩くことができたのです。廊下での歩行練習では、OTさんと手を繋いで歩きました。OTさんの右手と私の右手を合わせ、まるでダンスを踊るような感覚でした。私が倒れそうになると、OTさんの右手が私のお腹をそっと支えるように押し、左へ倒れそうになった時は左手で下へと押すようにしてバランスをとってくれました。その絶妙なサポートのおかげで、安心して歩みを進めることができました。倒れそうになるので笑い事ではありません。そして遂に腕を振って歩けたのです。リハビリはそれだけではありません。PTさんとは台に手を置いて腰を下ろす運動を10回、高さ20センチの階段を3段上り下りする練習も2回こなしました。その後は外へ散歩に出ましたが、あいにくの強風で身を切るような寒さでした。それでも、外の風を感じながら歩けたことは大きな自信に繋がりました。21日は15時から仲間の外来があって会うことが出来ました。この日初めて一人でシャワーに行けました。ここ数日は、自力で歩き、一人でシャワーを浴びるなど、私にとってたくさんの「初めて」が詰まった日々でした。支えてくれる人たちの温かさを感じながら、これからも少しずつ、自分のペースで歩んでいきたいと思いました。2026年1月26日C病院に転院しました。
1月13日午前8時半にB病院を出発し、10時にA大学病院へと到着しました。この一泊二日の入院は、私にとって大きな意味を持つものでした。腸ろうを抜くという、回復に向けた確かな節目を迎えたからです。14日、目には充血がありました、8本もの採血をこなして午前10時半にB病院へ戻りました。慌ただしい移動と処置の疲れはありましたが、心は確かに前を向いていました。それを証明するかのように、15日からは本格的な動きが始まりました。市役所障害福祉課の担当者とのやり取りや認定日という手続きを進めつつ、リハビリにも熱が入ります。PTさんと足上げ、腰上げ、中腰での手足の挙上。さらに四つん這いになっての腕の曲げ伸ばしを20回2セット。杖をついて廊下を歩き、高さ20センチの階段を3段昇降するリハビリは、身体に確かな手応えを残してくれました。そして16日、待ち望んでいた吉報が舞い込みました。C病院への転院予定の連絡です。次への道筋が見えたことで、リハビリのモチベーションはさらに高まりました。立ったまま手すりを持たずにボール風船のパスやけん玉に挑戦し、杖を使った廊下のL字歩行もこなしました。自主トレでは脇を支えてもらいながら、杖で歩く練習をし、久しぶりに外の空気も吸うことができました。「前を向いて姿勢良く!」自分にそう言い聞かせながら踏み出す一歩一歩が、ただ嬉しかったです。しかし、一直線に前進ばかりとはいきません。17日、咳と喉の痛み、鼻水が出たため、検査を受けるとともに隔離となってしまいました。もどかしさはあります。ですが、これまでの数日間で懸命に積み上げてきた手応えと、「吉報」という希望は、決して消えることはありません。今は少しだけ立ち止まり、また前を向いて歩き出すための力を蓄える時間なのだと、自分に言い聞かせていました。
2025年12月28日リハビリ室での練習を経て、いよいよ病棟でも歩行器を使った歩行練習がスタートしました!2回目の練習では、病棟内を20メートルも歩くことができ、自分の足で前に進んでいく実感が湧いてきてとても嬉しいかったです。年末年始はテレビでのんびり楽しみ、パワーチャージも完了しました。年が明けた2026年1月5日、気持ちも新たにリハビリ再開です。OT(作業療法)では、粘土やボールを使って腕の力を鍛えたり、つま先立ちで輪投げに挑戦したりと、「よーし、やるぞ!」と気合が入ります。この日、主治医の回診で転院のお話が出ましたが、肝臓のお薬のこともあり、今の環境でしっかりと治していくことを選びました。手帳1級も無事に出来上がり、ホッと一安心でした。PT(理学療法)では、大小の歩行器を使い分け、階段の昇降15回や廊下を歩くなど、どんどん動ける範囲が広がっていました。翌6日は、OT(作業療法)で雑巾を持った窓拭き動作や、膝を曲げてかかとを上げる練習をしました。廊下でのコの字歩きも頑張っています。PT(理学療法)では、床への座り立ちや、歩行器から平行棒への移動、スクワットに片足立ちなど、少しハードなメニューでしたが、「できた!」という達成感でいっぱいでした。7日には、家族から旅行先のハガキが届きました。素敵な思い出のおすそ分けに、心がパッと明るくなりました!8日は、膝を持って立ち上がったり、壁伝いに杖で歩いたり。病棟でも進んで練習できるようになり、日々の積み重ねがしっかり力になっていました。そして9日からの週末は、待ちに待ったお楽しみタイム!病室の3人組で、ベッド間のカーテンをドーンと大きく開け放ち、大々的なお喋り大会を開催しました。金曜の夜から日曜まで、笑い沢山の最高の時間でした。仲間が外来の日には3人で面会し、そこでも話に花が咲きました。一緒に頑張る仲間がいるって本当に心強く、どんなお薬よりも元気が出ますね。もちろん、リハビリも絶好調です。OT(作業療法)では手すりから少しずつ距離を離して杖で歩く練習をクリアしました。PT(理学療法)の自主トレでは「壁を持って立ち上がる」という課題に苦戦中ですが、きっとできるようになると信じて挑戦を続けていました。右手で杖を持っての階段昇降や、大きな歩行器でナースステーションまで往復することもできるようになりました。確かな成長を感じていました。踏ん張っている私、ばっちりです!これからも焦らず自分のペースで、仲間と一緒に笑い合いながら、明日も明るく前へ進んでいきたいです。
2025年12月20日車椅子を利用して、車での外出でした。まず、車に乗い込めるかどうかが問題で、PT(理学療法士)さんとそのことを毎日話ししていました。その ため、ネット通販を使い病室からステップ台を2個(10センチと20センチの物)を購入しました。腕の力は付いてきていたので、あとは後部座席に座れるかがどうかが課題でした。 使用する車は福祉車両ではなく、普通のファミリーカーでした。ですので、シートは回転シートになっていなくて、かなり高い位置にあります。取手を握る腕の力が必要でした。 ステップ台を使って一歩また一歩と上がり、腕を使って取手を握り、シートに座り込みました。できました!座れました!車からは、夫に抱きかかえられて家のポーチまで来たと思います。 玄関にはポーチに2段の階段があります。 私は夫に抱えてもらって階段を昇りました。 家に入る上がり框は18センチ程あります。 それも抱えてもらって上がりました。リビングに入ったときは、とても感激しました。 リビングには車椅子が用意されていて、 車椅子に座ったまま、台所に行ったりしました。 昼食は皆と食べました。あっという間に帰る時間になり、車まで夫と息子が両脇を持って抱えてくれましたが、脇を持たれたので脇がとても痛く、落ちそうになりました。2個のステップ台を使ってまた車に乗り込みました。 短い時間でしたが、最高のひとときでした。
〜少しずつの前進と、日常のささやかな楽しみ〜12月も半ばを過ぎました。病棟には24日まで実習に来ている大学2年生たちの姿があり、いつもより少し賑やかでフレッシュな空気が流れていました。入院生活の中にも、私なりのささやかな楽しみを見つけていました。最近は、車椅子に乗って病室のフロアまで来てくださる売店へ行き、自分でお菓子や飲み物を買うようになりました。ちょっとしたお菓子や飲み物を味わうひとときは、単調になりがちな日々の中で良い気分転換になっていました。日々の血圧や体温、酸素濃度の測定をこなし、夕方には再び履く予定の圧着ソックスを一旦脱いで足を休ませるのも、今の大切なルーティンでした。リハビリテーションも、日を追うごとに確かな前進を感じていました。作業療法(OT)では、手先の細かな感覚を養うためにミサンガを作成したり、強力な磁石を動かしたり、タオルを絞ったりする訓練を重ねました。18日には、机を一周し、手摺りにつかまって数歩歩くことにも挑戦できました。理学療法(PT)の正座から立ち上がる訓練や、平行棒での高さ10センチ・20センチでの歩行練習など、メニューも少しずつ本格的になってきました。16日に初めて大きいサイズの歩行器を使って5メートル歩けたと思ったら、翌17日には歩行器で10メートルを2往復できるようになり、着実に距離が伸びているのが嬉しく、大きな励みになっていました。眼科の検査なども挟みながら、懸命に自分の身体と向き合う日々の中、23日には実習中の学生さんにシャンプーをしていただく機会がありました。丁寧に髪を洗ってもらう心地よさと、一生懸命な学生さんの姿に触れ、心がほっと温まりました。一歩一歩、できることが増えていく喜び。この確かな歩みを大切にしながら、明日もまた自分らしく前へ進んでいこうと思います。
2025年12月の中旬、私の日常には小さな、けれども確かな変化が積み重なっていました。10日の朝は、自分自身で着替えができた喜びから始まりました。朝6時20分から洗濯乾燥機を回し、1時間20分後には無事に取り出す。そんなかつては当たり前だった日常の動作が、今の私にとっては大切な前進の証でした。リハビリは日々、自分の身体との真剣勝負でした。OTさんとの時間では伝い歩きの練習をしていますが、右足にはまだ少し不自由さを感じていました。机のふちを伝って歩くよりも平行棒を使う方がはるかに難しく、もどかしさを感じることもありました。翌11日には、テーブルを二つ近づけてターンをし、テーブル間を渡るという新たな動きにも挑戦しました。PTさんとのリハビリでは、介助なしでの正座運動を5回ずつこなすことができました。平行棒での歩行は右足が十分に伸びない課題もありましたが、「左足・右足の順で上がり、右足・左足で下りる」という手順を一つひとつ確かめながら、日々しっかりと踏ん張って取り組んでいました。そして13日には、ついに自力でベッドからトイレへの移動ができるようになりました。これは私にとって、記念すべき大きな一歩でした。こうした日々の頑張りを支えてくれるのは、家族や友人たちの温かい存在でした。お友達からのLINEや、仲間が持ってきてくれた差し入れに心が和みました。12日のリハビリ公開には、家族が見学に来てくれました。とても温かみのあるソーシャルワーカーさんも交えた時間の後、家族2人は私が耳鼻科の診察やシャワーを終える18時頃までずっと待っていてくれたのです。その心遣いが本当に嬉しく、胸が熱くなりました。13日には夫と駅前まで散歩へ出かけ、新しいパンツを購入しました。14時半から夕方まで一緒に外の空気を吸えたことは、素晴らしい気分転換になりました。翌14日は家族が面会に来てくれて、一緒にドトールやコンビニへ行き、心から楽しいひとときを過ごすことができました。リハビリの合間には、仲間と音楽や編み物の話で盛り上がる穏やかな時間もあります。思うように動かない身体と向き合う日々ですが、周囲の優しさに包まれながら、私は今日もまた、新しい歩みを進めていました。
2025年12月6日。この日、私は入院して初めての外出を経験しました。夫が車椅子を押してくれ、B病院の近くにある駅前まで連れ出してくれたのです。久しぶりに感じる外の空気、そしてお店でのショッピング。短い時間ではありましたが、当たり前だった日常を少しだけ取り戻せたような、とても嬉しく心弾むひとときでした。日々のリハビリも、少しずつ、しかし確実にステップアップしています。12月8日からの作業療法(OT)では、手先の感覚を養うために粘土をこねたり、輪投げをしたり。ただ投げるだけでなく、机につかまって体を左右に動かしながら輪投げをしたり、机の周りを歩いたりと、より実践的な動きも加わってきました。理学療法(PT)では、さらに大きな動きに挑戦しました。四つん這いになってプラットホームの下に降りたり、正座の姿勢をとったり。歩行器での練習に加え、平行棒を使ったリハビリでは10センチ、そして20センチの段差をまたぐことにもトライできました。壁につかまりながら正座から立ち上がる練習などもこなせるようになり、自分の体が少しずつ動くようになっている喜びを感じていました。病院での生活にも小さな変化が訪れていました。病室では窓側のベッドへ移ることができ、外の景色が見えるようになって気分も明るくなりました。看護助手さんにシャワーを浴びせていただき、さっぱりした気持ちで、車椅子で病院内で初めての洗濯と乾燥も済ませました。また、次の転院先となる予定の「C病院」についてサイトで調べ始めるなど、先の生活に向けた準備も少しずつ進めていました。そして迎えた12月9日、私にとって大きな出来事がありました。前日に病院の1階で撮影し、この日の朝に先生に判断していただいたレントゲン結果を受けてのことでしょうか。主治医に、ずっと入っていた胆管チューブを抜いていただいたのです。体に繋がれていた管が一つ外れ、一歩ずつ、また元の生活へと近づいていました。私の新たな歩みは、これからも続いていきます。
2025年11月27日~12月5日朝陽に照らされたスカイツリーと富士山が、窓の向こうにとても美しく見えた。(方角はそれぞれ違いますが)その雄大な景色に力をもらいながら、私の心の中では一つの大きな決断が固まっていました。その後、リハビリ病院を探して入院し、しっかりとリハビリを重ねてからA大学病院(外来)へ向かう。これが、私の描く次なるステップでした。リハビリテーションの計画も、ソーシャルワーカーさんによって着実に前へ進んでいました。PT(理学療法士)さんと一緒に、足の装具をつけて立ち上がり、OT(作業療法士)さんと輪投げに挑戦しました。机の周りを左右に歩く練習もこなしている。身体を動かすだけでなく、千羽鶴を折ったり、粘土をいじったりと、手先の細かいリハビリも楽しみながら取り組むことができました。もちろん、身体の不安や乗り越えるべき課題が完全に消えたわけではありませんでした。むくみが気になって主治医に相談すると、すぐにレントゲンを撮ってもらえることになりました。さらに、足のエコー検査や、腸瘻の縫合の縫い直しなど、細やかな医療処置も続いていました。また、市役所にリハビリ用装具について電話で問い合わせたところ、ソーシャルワーカーさんを通して話を進めることになり、事務的な手続きも一つひとつこなしているところでした。やるべきことは山積みだけれど、私には心強い支えがありました。病棟でできたお友達とのお喋りは、何よりの気分転換になり心を軽くしてくれました。美しい朝の風景と、励まし合える仲間たち。様々な検査や処置、そして転院という大きな環境の変化を前にしても、不思議と心は前を向いていました。次なる舞台へ向けて、私の新たな歩みはしっかりと続いていました。
2025年11月17日~26日今日の回診で、先生から嬉しい知らせがありました。血液検査の結果が良かったとのことで、これまで続けていた抗生剤の使用をいよいよやめても良いことになりました。少しずつ肝臓の数値が上がってきていたこともあり、ここで抗生剤をストップできるのは体への負担を考えてもホッと一安心でした。回復に向けて、また一つステップを登れたような気がします。そして、日々のメインイベントであるリハビリ。今日はとにかく「立つ」ことに向き合った一日でした。チャーミングなPT(理学療法士)さんのリハビリでは、平行棒を使った立ち上がりの訓練を行いました。ただ闇雲に立つのではなく、姿勢をしっかり意識することが大切です。平行棒を握る手と腕にぐっと力を込め、視線は下へ。両足は真っ直ぐに保ちながら、腰を引くようなイメージで立ち上がる。頭ではわかっていても、実際に体を動かすとなるとやはり集中力が必要でした。一方、芸人風な楽しいOT(作業療法士)さんのリハビリでは、また違った視点から「立つ」ためのアプローチを教わりました。ポイントは「足の親指に力を入れること」、そして「立つ前にまずは体の力をゆるめること」だそうです。緊張したままでは上手く動けないのですね。また、PTさんに脚を広げるストレッチをしていただいたのですが、これが驚くほどの効果でした。ストレッチ後には脚全体がフッと軽くなり、縮こまっていた足先が自然とフワッと広がる感覚がありました。脚を持ち上げる動作も目に見えて軽くなり、自分の身体なのに「こんなに変わるんだ!」と感動してしまったほどです。しっかりと筋肉をほぐして準備を整えることが、立つ訓練には欠かせないのだと実感しました。合間には、骨密度測定を行ったり、腕や肩の自主練(筋トレ)にも励んだりと、今日も一日充実した時間を過ごすことができました。その次の日も腕に力を込めて立つこと。足の指先まで意識を向けること。そして、時には力を抜くこともリハビリで教わりました。身体で覚えたこの感覚を忘れずに、これからも焦らず、自分のペースでリハビリを続けていこうと思います。
2025年11月13日。この日は、A大学病院からB病院への転院の日でした。朝8時半に出発して、ストレッチャー付きの介護タクシーを利用して10時に無事に到着しました。手帳や年金に関する手続きもこなし、いよいよ新しい環境での生活が始まります。翌14日は、朝から主治医の回診や看護師長さんのご挨拶があり、リハビリ診断士の回診、採血、レントゲン検査と慌ただしく過ぎていきました。リハビリ室では、まだ「立つだけ」の練習ですが、担当のPTさんに褒めていただき、ほんの少し自信に繋がりました。そして15日。看護師さんから、外泊の提案という嬉しいお知らせがありました。これで外出が出来ます。追加で処方していただいた眠剤のおかげもあってか、少しずつ心身のリズムも整ってきているように思いました。数ヶ月に及ぶ入院生活の中で、持っていて本当に良かったと実感しているのが「眼鏡」です。しかし、入院中は店舗で調整をしてもらうことができず、眼鏡が鼻からズルズルと下がりまくってしまうのが悩みの種でした。そこで、リハビリが本格化するのを機に、入院してからずっと封印していたコンタクトレンズを使ってみることにしました。ケースから出すことはできたものの、肝心のコンタクトのフタが硬くてどうしても開きません。困り果てて看護師さんに取り外しをお願いしたところ、若い看護師さんが「学生の頃、お友達とコンタクトを付けあいっこしていたからいいよ」と優しく声をかけてくださり、手伝ってくださいました。それが2週間後には、自分でコンタクトのフタを開けられるようになり、一人で取り外しもできるようになったのです。硬かったペットボトルのフタも開けられるようになり、確かな成長を感じます。「できること」が、着実に増えてきているのです。土日はリハビリがお休みなので、自分のペースで自主トレに励んでいます。音楽を聴いたり、プレミアム動画を観たり、編み物をしたり。面会の時間も、私にとって大切なひとときです。そんな穏やかな時間の中で一番驚かされたのは、LINEで送られてきた一枚の写真でした。それは「熊の手」で生々しい物でした。一度出ていた声の出方が悪くなっていたので、その時はまた声を出すことが出来ました。離れていても届く家族からの刺激に笑いながら、私のリハビリ生活はこれからも続いていきます。
2025年11月12日、いよいよ転院に向けた準備が本格的に始まりました。作業療法士さんから自主トレのメニューを受け取り、先生からは退院療養計画書を、薬剤師さんからはお薬の説明書をいただきました。久しぶりにシャワーを浴びて、自分自身の手でドライヤーをかけたときは、日常が少しずつ戻ってきていることを実感しました。お腹の腹帯も外していただき、身も心も本当にスッキリとしました。リハビリも着実に進んでいます。理学療法士さんのもとで、平行棒や歩行器を使った歩行の様子を動画に収めてもらい、嚥下動画の二次利用同意書にもサインをしました。そして、この日一番の出来事は、言語聴覚士さんのリハビリでのことです。なんと、待ちに待った「声」が出たのです。まだハスキーではありますが、これまでのひそひそ声がしっかりとした声に変わった瞬間、胸がいっぱいになるほどの感激に包まれました。記念すべきその様子も、動画に撮っていただきました。しかし、喜びも束の間、転院を翌日に控えた夜に38.3度の発熱という思わぬ試練が訪れました。日付が変わった11月13日の深夜。体温は38度から下がらず、0時40分にカロナールを飲みましたが、足の裏を中心とした強い痛みがなかなか引いてくれません。そんな辛い夜、何人もの看護師さんが交代で足をマッサージしてくださいました。その温かな手当てには、ただただ感謝の気持ちでいっぱいです。その後、睡眠導入剤の力を借りてようやく眠りにつくと、目覚めた頃には足の痛みも随分と和らいでいました。明け方、4時に37.8度、5時には37.0度と少しずつ熱が下がり、祈るような気持ちで迎えた朝。回診にいらした執刀医と主治医の先生から「熱が下がったので転院です」という言葉をいただいた時は、心から安堵しました。こうして、発熱という最後の試練を乗り越え、無事にA大学病院からB病院へと転院することができました。新しい病室で手続きや荷物の整理を済ませ、私は今日も自主トレに向き合っています。新しく取り戻した声での発声練習、そして指と腕と肩を動かすこと。ハスキーボイスを響かせながら、私の回復への道のりはこれからも続いていきます。
朝の回診で、主治医の先生から「来週の転院に向けて調整中です」という言葉を聞いたのは、週末のことでした。その言葉は、立ち止まっていた私の背中を優しく押してくれるようで、確かに一歩前へ進んだ気がしてとても嬉しくなりました。その頃の私は、まだ自分の身の回りのことも一人では十分にできず、部屋の片付けは担当の看護師さんにお願いしていました。昼食は車椅子に座っていただき、病棟が点検のために2時間ほど停電した時には、静かな時間の中で編み物をして過ごしました。日課であるボイストレーニングも欠かさずに行い、少しずつ前進するための準備を重ねていました。週が明けた月曜日、執刀医の先生の回診がありました。「向こう(転院先)の受け入れができていれば、状態も落ち着いているし転院していいんじゃないかな」と言っていただき、さらに安堵の気持ちが広がりました。理学療法士(PT)さんとのリハビリでは、右手と左足、左手と右足を交互に出しながら平行棒の中を歩く練習に励みました。お昼には、転院に向けて常食へ移行できるかどうか、二人の看護師さんに見守られながら食事をとるなど、新しい環境に向けた具体的なステップを踏み出しました。そして迎えた火曜日は、私にとって大きな変化と喜びに満ちた一日となりました。朝、執刀医の先生から「立つ練習している?」と声をかけられた後、主治医の先生にお腹の経腸栄養チューブを抜いていただいたのです。この日の朝から待ちに待った常食となり、何よりチューブが取れたことで体が驚くほど軽く感じられました。その喜びを噛み締めながら、言語聴覚士(ST)さんとのリハビリではスマホの動画を見ながらボイストレーニングを行い、PTさんとの平行棒での歩行練習もこなしました。さらにベッド上では、主治医の先生に胸腔ドレーンも抜いていただきました。肺に水が溜まっていたために付けられていたドレーンでしたが、すっかり胸水も出なくなっていたのです。様々な管が外れて身軽になっていく喜びに浸っていると、執刀医の先生の回診があり、「木曜日に転院が決まったんだね」と嬉しい報告を告げられました。朝夕の回診で丁寧に診てくださる先生方には、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。身を軽くし、少しずつ自分の力でできることが増えてきた今、私の心はもうすぐ向かう新しいステージ、B病院へと向かっています。
2025年11月6日・7日朝、ベッドの上で身を起こし、着替えをします。かつては当たり前だったそんな日常の動作も、今はまだ介助が必要です。一人で着替えられないもどかしさを抱える私に、看護師さんは優しく寄り添い、ご自身の小さい頃のお話や、地元の特産品のお話を明るく語ってくれました。その何気ない温かな会話が、強張っていた私の心を少しだけ解きほぐしてくれました。この日の理学療法士さんとのリハビリでは、歩行器を使って歩く訓練をしました。介助を受けながら進んだ距離は、2メートル。数字にしてしまえば短く感じるかもしれませんが、今の私にとっては、自分の足でしっかりと踏みしめた、大きな大きな2メートルでした。その後も、嚥下造影剤検査や嚥下圧検査、言語聴覚士さんとの嚥下体操と、息つく暇もなく自分と向き合う時間が続きます。そんな中、思いがけないアクシデントが起きました。命綱でもあった経腸栄養のチューブが詰まってしまったのです。すぐに病室へ駆けつけ、様子を診てくれた主治医が下した判断は、「チューブは詰まったままで、食事から栄養を摂りましょう」というものでした。突然やってきた、口からの食事への切り替え。戸惑いと不安が入り交じる中、目の前に運ばれてきたのは「とろみ食」でした。不安に押しつぶされそうになる心を奮い立たせるために、私はMrs. GREEN APPLEの『ケセラセラ』を流しました。「なるようになるさ」という魔法のようなその言葉を、何度も何度もリピート再生します。力強く優しいメロディに何度も背中を押されながら、私は必死に、とろみのついた食事を喉の奥へと送り込みました。一口、また一口。それは決して簡単なことではありませんでしたが、自分の力で生きるための、そして前に進むための確かな「ひとさじ」でした。食べられることの大切さを感じました。
2025年11月5日。日々のリハビリでは確かな前進を実感しています。作業療法士さんとのリハビリでは、腕を上げたり、圧力をかけたりする訓練を行いました。以前と比べて、かなり腕の力がついてきたことがわかります。さらに、理学療法士さんとのリハビリでは、平行棒につかまりながらですが、立って1メートル歩くことができました。わずかな距離に思えるかもしれませんが、私にとってはとても大きな一歩です。そしてこの日は、耳鼻咽喉科にも足を運びました。私は気管切開をしており、現在声が出ない状態が続いています。診察の結果、声が出ないのは声帯が細くなっていることや、声を出すこと自体を身体が忘れてしまっているからだと説明を受けました。戸惑うことや、自分の身体の変化に静かに向き合わなければならないことも少なくありません。それでも、腕の力がついたことや、1メートル歩けたという事実は、確かな希望を与えてくれます。焦らず、これからも自分のペースで少しずつ前へ進んでいきます。
「※閲覧注意(傷跡の写真があります)」「抜鉤(ばっこう)」という言葉をご存じですか。手術の傷口を留めていた医療用ホチキスを外す処置のことだそうです。ホチキスの跡は、私が「生体肝移植」という大手術を乗り越え、今を生き抜いている何よりの証でもあります。2025年11月4日。この日は、私の体から少しずつ「繋がり」が解かれ、確かな前進を感じられた一日でした。主治医によって、体の左側にある腸瘻(栄養チューブ)の管が縫い直されました。一方で、右側に繋がっていた胆管チューブはついに抜いてもらうことができました。これで体の右側に残る管は、胸水を抜くためのものだけになりました。管が一つ外れるだけで、体も、そして心もふっと軽くなるような気がしました。そして、手術の傷を塞いでいたホチキスを取り除く「抜鉤」も無事に終わりました。もちろん、治療の痛みや不自由さが完全に消えたわけではありません。股関節からの採血は痛みを伴うし、ベッドから車椅子へ移動するには、まだ看護師さん2人の手厚い介助が必要です。それでも、日中、車椅子に乗って過ごす頻度は確実に増えてきていました。「ここから下に傷の写真が出ます」私の場合はL字型に縫い目があります(帝王切開の跡も有)理学療法士(PT)さんの指導のもと、足踏み運動を「10回×5セット」こなしました。今はまだ、この小さな足踏みを繰り返すことが私の全力でした。けれど、管が減り、ホチキスが外れ、車椅子に乗って見る病室の景色は、ベッドに横たわって見ていた天井よりもずっと広く、少しだけ明るく見えました。私の体には、回復へ向かって確かに前に進んでいる記録が刻まれていると思いました。これからも焦らず、小さな足踏みを重ねながら、一歩ずつ前へ進んでいきたいと思います。