帰宅途中、駅ホームの蕎麦スタンドが目に入る。
以前は、時々利用していました。
でも最近は、短時間で食べる気がしないのと、一杯食べ切る自信がなくて、行く気がしません。
以前は、おやつ代わりに食べてたような気もします。
と思って、過去写真を調べてみても、全然出てこない。
で、2019年7月に行ったのが、どうやら最後らしい。
ワカメ蕎麦ですね。
この後にブログ記事も書いていないようなので、写真を撮っただけみたいです。
ほんの5年ほど前なのに、コロナ禍でずいぶん行動パターンが変わったのですが、それ以上に体力が落ち、気力もなくなった。
ように思います。
要は、老けた、ということですね。
自覚ありあり。
食欲も好奇心も基礎体力も増し増し、の反対。
何て言うの? 減し減し? 激減です。
このトシになって、自分が本当にやりたいことって何だろう? と真剣に考えるようになるとは、予想もできませんでした。
先が無くなってくると、みなそう思うのかもしれません。多分。
空腹を満たす、一杯のかけ蕎麦で、いっときの幸せを感じられた頃が、なつかしい。
駅ホームの蕎麦屋の格子戸が、過去と今を隔てる鉄格子のようにみえる。
欲のない人を、ホトケのような人、と言ったりしますが、ホトケとは死者、つまり生きていない人、という意味もあり。
自分の欲望が減っていくと、悟りに近づくというよりも、肉体的な死に近づいているのだなと、実感として思います。
そこで初めて、欲が少なく堅実に生きている人を、尊敬の眼差しで見ることができるように、なった気がします。
たまに作る、マルちゃん正麺が美味しい、と感じられること。
そんなことが、生きている意味だと、今では思えます。
(^_^)☆