以前から、高松塚古墳の女性の衣装が、気になっていました。
髪型も変わってるのですが、それは手がかりがないので置いておいて、服装です。
髪型も変わってるのですが、それは手がかりがないので置いておいて、服装です。
永泰公主墓壁画は、つま先の反り上がった厚底の靴を履き、ウエストラインを胸元まで上げたロングスカートで、足の長さを極端に強調するファッションですね。
高松塚の方は、上着が膝までかかり、足の長さを強調するのではなく、防寒に良さそうなデザイン。
こんな意匠は、ほかにはあまり見当たりません。
永泰公主墓は8世紀初頭、高松塚は7世紀末ぐらいと考えられているので、おそらく唐の方がデザイン性が進んでいると思われます。
そこで同時代でなく、もう少し古い時代の壁画を調べてみると、朝鮮半島の高句麗壁画に、よく似た形式の服がありました。
水山里古墳壁画です。
唐の永泰公主墓壁画よりも、ずっと近い形式ですよね。
つまり、水山里古墳壁画から高松塚古墳へは、古い北東アジア系の服飾、永泰公主墓壁画は、中国で当時最先端のファッションなのでしょう。
その後の日本、大和王朝は、唐への傾斜を強めていきますので、服装も中国風になったと思われますが、次第に和風になります。
聖徳太子像と伝える人物の官服が、平安時代の水干等にアレンジされていくのです。
(^_^)☆
さ