旧友という言葉には、昔の友だち、昔から付き合っている友人、と二系統の意味があるように思います。
たまたま大学時代の友人の名前をググって(多忙なのに逃避して)いたら、某放送会社の役付きに収まっていました。
さらに驚いたのは、もう定年間際なのに、昔からやっていたバンド活動の様子をYouTubeにアップしていたので、学生時代と変わらない、彼の姿見ることができたのでした。
たまたま大学時代の友人の名前をググって(多忙なのに逃避して)いたら、某放送会社の役付きに収まっていました。
さらに驚いたのは、もう定年間際なのに、昔からやっていたバンド活動の様子をYouTubeにアップしていたので、学生時代と変わらない、彼の姿見ることができたのでした。
何十年、会わなくて平気というのは、必要じゃないからですよね。
なので、旧友(昔の友だち)と会って話してみたい気持ちもありますが、会っても話をすることがないとか、話が合わないとか、いろいろ考えると、会っても仕方ないかなどと思ってしまう、自分がいます。
だいたいワタシは、自分が友だちになりたい、と思って近づいた友人は、ほとんど長続きしません。
何でこんなヤツと一緒にいなきゃならんのじゃと、最初は戸惑ってたヤツの方が、長続きしてます。
要するに、人を見る眼がなかったのですね。
見てくれだけで決めてたのかな。
今でも外見は気にしますが、それは内からにじみ出る表情と言いましょうか、人となりの現れた外見をチェックしてしまいます。
古い友だちでも、今は付き合いのない友人。
そちらの方が、今でも付き合っている友人よりも多いのは、私の性格が狷介だからでしょう。
友人も、量より質!と思ってしまうのは、社交的な人に対する負け惜しみかも。
ま、別に気にしてませんけど。
友人も友情も、ある意味、自己満足でしょう。
他者との関係性で、自己の精神的均衡を保つのが人間。
友人も友情も、自分に付いてくるものだと思います。
求めて得られるものでもありません。
だから貴重なのです。
もちろん、友人を大切にする努力は必要ですけどね。
(^_^)☆