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博士後期課程(心理学・専門はコミュニケーション)を終えた、臨床心理士OL
数多の試練を乗り越え、自分をまるっと愛して楽しむために成長中!
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本日の記事は、こちらの続きです!
前回は、私がなぜ心理学を学び、臨床心理士になろうと思ったかについて振り返りました。
前回の内容当時は中学生だった私も、高校へと進学、そして希望通り大学の心理学科へと進学。
臨床心理士になるには、所定の大学院の修士課程を修了することが必須です。
そのため、私も大学院に進学し、授業、研究、実習などに追われていました。
そんな、修士2年生のある日。
姉から、「父と母、離婚する」と、衝撃的な連絡がきたのです。
慌てて実家に戻って話を聞くと、父親が家庭ある女性と不倫をし、相手の旦那さんから訴えられたとのことでした。
相手の女性のことが大切で大切で、私たちよりも大切にしたい存在で。
だから離婚して、相手の女性と一緒になりたい。
そんな父の決意を聞けたなら、子どもの立場としては複雑ですが、まだマシだったかもしれません。
ですが、残念ながらわが父は。
話し合いから逃げ回るように、「離婚する」を繰り返していただけだったのが、娘の眼から見ても明らかでした。
大好きな父の裏切り
大好きな父への失望
それと同時に、
私はやっぱりいらない子なんだ
なら、なんで作ったの?
どうして最後まで愛してくれないの?
そんな絶望、悔しさ、悲しみに襲われ、父親に対し作った責任として、私の処分を願い出るほどでした。叶えてもらえませんでしたが。
+ + +
双方代理人をたてた上で様々なやりとりの結果、両親は離婚。
私たちは事実上父とその後再婚するお相手の女性に家を追い出され、母が新たに買った新居へと移りました。
こうした身内の恥って、大人になればなるほど話せる相手は少なくなります。
社会人であった母と姉の吐き出し口は、当時まだ学生だった私でした。
毎日電話で聞かされる、父への恨み言。
日に日に悪化する母と姉の関係性。
「子育て失敗したって父さんが言ってた」
「離婚したのはあんたのせい」
「あんたにしか話せないんだから愚痴くらい聞きなさいよ」
皆、精神状態が限界だったのでしょう。
家族が、家族を悪く言うことばなんて聞きたくない!私も辛い!
そんな願いを伝えても、母も姉も聞き入れられる余裕などなく。
“私は学生”
“仕事をしてない”
“だから聞くのが当然”
そう自分に言い聞かせて、ただただ2人の精神状態が落ち着くのを待ちながら、精神的サンドバックになり続けました。
離婚騒動がまだまだ鎮火しないものの、なんとか修士論文を書き上げた頃。
「従兄が、亡くなった」と、これまた姉から衝撃的な連絡がやってきました。
その従兄とは、私はとてもとても仲良しで。
当時住んでいたお互いの家も、電車で一駅という近さ。
何度か2人でご飯を食べたり、遊びに行ったりして、私からすれば兄のような存在でした。
葬儀も、火葬も、従兄家族よりも泣いて。
なかなか死を受け入れられず、従兄が吸っていたタバコに吸ったり、従兄の話に出てきたウイスキーを求めたりして、彼を偲んでいた当時の私。
元々タバコは吸えないし、お酒も強くありませんので、かなり荒んでいましたね。
そんな私を、今度は母と姉が、なんとかせねばと思ってくれていたのでしょう。
気が付けば母と姉の関係性は修復に向かい、2人で結託して私を支える側に回ってくれていました。
人生何が起こるかわからない。
そして、失うときは、一瞬。
母と姉に支えられ、ようやく従兄の死を受け入れられてきた私は、このことを強く強く実感するようになりました。
今回はかなりヘビーな内容になってしまいました・・・。
内容が内容だけに、ご気分を害された方がいらっしゃいましたら、申し訳ありません。
次回は、私のコンプレックスの1つでもあった学歴について、振り返りたいと思います。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました♡