昔、わたしたちが通っていた

教会で 、

 

たまには 礼拝の中で、

歌いたい賛美歌を歌ったらどうか。

という意見を出したことがありました。

 

 牧師は ちょっと考えながら 

メッセージに 合ったものを

選びたいと、おっしゃいました 。

 

そして、最近聞いた話では 

通っていた別の教会で奏楽者が 

 

礼拝の前に 皆さんの好きな

 賛美歌を言っていただけたら

それを 弾きますので、リクエストが

あればどうぞ。

 

と言われたので、リクエストに

応えて何回か演奏されたそうです 。

 

それを牧師が 

 

それは メッセージに合わないので

やめてください。

 

と言われたという話を聞きました 、

 

何かおかしくないですか ?

前奏ですよ。

心沈める時の。

 

賛美 って 信仰の先輩たちが

神様から頂いたものに対しての

感謝や信頼や祈りや、そういうものが

たくさん 込められているもの。

聖書のみ言葉にメロディーがついたもの。 

 

それに心が動かされて 

感動したり 慰められたり 

それを作った 人の思いと自分の想いは

一緒なんだなって共感したり 。

賛美によって その人の心にある

神様との繋がりをつよめるもの。

 

また 、知らない 賛美を聞きながら 

良いメロディだな。どんな内容?

って思うこともあると思うんです。

 

 わたしは、ピアノも弾けません 。

と言うか、楽器全てダメ。

音符読めない。

 

けれども 賛美歌 大好きです 。

メッセージより 心揺さぶられる

こと だって、ありますよね 。

 

それを牧師が自分のメッセージに

合わないから、やめてくれ、

って言うなんて、ちょっとね、

そこに 疑問符を持ったモニカであります 。

 

もちろん 礼拝は全体のものであること

承知しております 。

でも、個人のものでもある。

 

そのメッセージに

ぴったりの賛美 もあるでしょう 。

でも、何回かに1回ぐらいは

そういう 礼拝があっても

いいんじゃないの?

 

ミサは生き物だから。

 

 中村神父様さんが

おっしゃっていました 。

 

生き物という言葉の中には

神様と私が心を通わせるもの 。

そういうものがあるからこそ

生き物だと

 おっしゃったんじゃないかなと思い ます、

 

牧師のメッセージと、その賛美 が

合ってようがいまいが、

 神様と心を通わせる ツールの一つが

 賛美 であるのならば 

イメージと違うなと思っても 

それは全く関係ないのではないかなと思います 。

 

それって 牧師のプライド ?

メッセージに対するプライド ?

なんか しっくりこない モニカです 。

 

いろんな教会を渡り歩いたからこそ

 違いや 、いいところ、悪いところもわかるし 

自分は こう思う。と言う牧師と違った視点を

持つ事が出きる。

言っときますけど、 牧師も 司祭 も 

ただの一信徒です。

 メッセージを取り次ぐというのが

仕事 なだけです 。

神様ではありませんよ。

 

上からのお達しを、全て善、正しいとして

そのまま 聞くのではなく 

きちんとした 神様との関係を保つために 

これはどうなのかなって 疑問

を持つことも必要ではないでしょうか 。

ひとつ教会の中で 礼拝を捧げればいい 

ミサに与ればいい 。

そんな簡単な  話ではなく 

礼拝やミサに与っていただきたいと思います 。

 

主よ、憐れみたまえ❗️

 

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