「荷物をまとめて帰国しようって時だったよ」
 外国人が多く宿泊するそのホテルにテロ国家が襲撃を始めたのは早朝のことだった。
 本拠地への反撃が激化する中、彼らは出来るだけ多数の人質を必要としていた。
「しかたないから俺は、語学力と文章作成をアピールしたんだよ。大学で教えてるって伝えてね」
 彼らの言う《種子》は東アジアにも潜入を始めていた。協力すれば帰してやるという言葉は当然額面通りには受け取れなかったが、自らの思想を世界中に広めたかった彼らには渡りに舟だったのだろう。それで発信文中に暗号を混ぜる事を試みたと布川さんは、まるで映画の内容を説明するように話した。
「最初の発信は賭けだったさ。それから彼らに、反応を確かめる必要があるから日本からの返信は全部教えてくれと頼んだんだ」
 日本の返信は当然ながらテロ国家の行為を非難するものだったが、その中に布川さんへメッセージは隠されていた。布川さんが試みたやり方と同じ方法で。“ジョウホウモトムヤナギ”と。
「絶対検閲されてますよね」どんな暗号かと私は気になって尋ねた。それは布川さんがヤナギ先生との手紙のやり取りでたびたび使われたお遊びだと言う。
「いろはうた、だよ。これが意外と外国人には解読されなかったのさ」
 いろはうた?
「トガナクテシス?」マチさんが布川さんの横顔を見つめながら言った。
「そうそれ。簡単に言えば、七文字毎の文字を繫げると文章になるってやつ。もちろん綺麗には作れないけど、疑われないように余計な文字も混ざるけど、ヤナギ先生が気付けば解読してくれると信じてね」
 布川さんが行方不明になった後テロ国家が日本語での発信を始めたことでヤナギ先生は確信したらしい。すぐさま関係省庁に勤める元教え子に連絡を取り、暗号を返信させたそうだ。その教え子は部下に見張りをさせながら、今田中を拘束している。
 マチさんがタブレットに何かを打ち込んで私に見せてくれた。イロハニホヘトチリヌルヲワカ……ああ、いろはうた。それを七文字ずつに区切って並べる。トガナクテシス。咎無くて死す。
「縦読みじゃん!」
 身も蓋もないがそういうことだとヤナギ先生が笑って言った。
「そこからは協力する振りをしながら組織内の攻撃目標や重要人物の居場所なんかをリークしてね、そのうち対抗勢力からの接触もあってより詳しい情報を渡せるようになったんだ」
 日本の機関から連合軍への要請は、第一に布川さんの安全の確保だったと田中を抑えてる屈強な男性が添えた。何人かの協力者を国家内に潜伏させ、布川さんの身に危険が及ばないよう監視したのだという。
「そんな危ないこと」マチさんが叫ぶ。「協力者さんを潜り込ませられたなら布川さんを助け出せたんじゃないの?」
 それはね、と布川さんは床に転がってる田中を親指で指した。