誰、と答えようとするマチさんを抑え私は机の陰に押しやる。
 間を置いてノックが繰り返される。
「この合図、誰か他に知ってる人って……いないですよね」
 マチさんが首を振る。そりゃそうか、私が買い物に出るその時に決めたことだ。
 誰がが、私がドアを開けるのを見ていた。それか、ずっと私達を付けていたのかも知れない。
 ドアノブを乱暴に回す音が部屋中に響く。
 無論鍵が掛かっているドアはびくともしない。
 ドアを何か硬いもので叩く音に、マチさんは小さな身体をますます縮こめた。

「なあ」来訪者が抑揚のない声で話し掛けて来る。「いるんだろ、わかってるんだ」
 どこかで聞いた声。
「中田?」
「田中、な。開けろよ」
 なんであんたがと思ったが、その後の言葉は私達を震え上がらせた。
「出来ればお前は殺したくないんだ。園田って女を差し出せば、逃げるなり通報するなりしていいから」
「なんでよ。出来るわけないでしょそんなの」「その女はな、人質なんだよ。こちらで確保しなきゃならん状況になった。お前には関係ない話だから引っ込んでてくれないかなあ」
 人質ってなによ、と叫んだがそれには答えない。
「別に危害を加えようってつもりじゃないさ。確保するだけだ、だから開けろよ」
 私達が黙っていると、木製の頑丈なドアに小さな穴が空いた。ノブが回る。だが、布川さんの仕掛けのせいかドア自体は動かない。
 ドアを蹴る音。マチさんは顔を青ざめさせ肩を震わせている。
 だんだん腹が立って来た。
 私は鞄を引き寄せ、中からストッキングを取り出した。
「フミさん」
「ご心配なく、未使用品です」
 少し伸ばしたり引っ張ったりしながら壁に架かったハンガーを取り、借りる事にする。
 ハンガーの一端にストッキングを結びつけ、それから
「マチさん御免なさい、これもお借りしますね」
 その間も田中は怒鳴るでもなく話し続けている。
「お前らさあ、気付いちゃったんだろ、盗聴器。向かいの棟の屋上からずっと見てたからな、まだ窓んとこに置きっぱなしだろ」
 ああ、短慮だった。それを窓際に置いた時に、窓の外から見られてたんだ。
「大切な彼氏の遺品、そんなとこにほっぽっとく分けないもんな。もうわかってんだろ、それが布川の時計じゃないってこと」
 突然出て来た“布川”という言葉。マチさんが身を乗り出すのを私は必死に留める。
「布川さんに何をしたの!」
 それをあんたが知る必要はない、と田中が答える。ただ、こちらに本当に開けるつもりがないのを確認したのだろう。 
 鍵穴を破壊した何かが、今度はドアの蝶番を壊し始めた。
「だめ、開けられちゃう」
 脅えているマチさんを机の下に隠れさせ、私は即席の投石器をゆっくり振り始めた。
 ドアが蹴破られ、人一人入れる位の隙間が出来る。
 入ってきた田中はその手にオモチャの銃みたいな物を持っていた。見かけはオモチャだが、ドアを破れるだけの破壊力を持っていることは実証済みだ。
 マチさんが目を見開く。
「あの時の……」
「お久しぶりですね、園田准教授。と言っても俺の方はずっと見てがあっ」
 うーん、予想通りには行かないもんだ。手元の武器を狙ったはずなのだが、ずっしりと重いガラス玉はすっぽりと田中の口の中に入っていった。
 多分その歯をごっそりもぎ倒して。
 ちょうどいい大きさだったのか、口内に収まったガラス玉はなかなか取り出せない。私は窓際の腕時計を摑むと、第二弾の準備に取りかかった。
 だが、腕時計は突然投石器の先で砕け散った。
 田中の銃口がまっすぐ私に向けられていた。
 大きく空いた口の中はまだガラス玉の緑色。その目は赤く充血して私を睨んでいる。

 まずい、死んだ。

 その時。

 ドアの隙間から入ってきた影が田中の腕を押さえ。
 田中の身体は空中を一回転して床に叩きつけられていた。