あの日以来、マチさんは宝物を取り出してはその時々に聞いた布川さんの冒険譚を話してくれる。白く濁った石英の塊。拳ほどもある綺麗なガラス玉。不思議な文字が彫り込まれた古びたカメオ。
 それらが、布川さんの手にかかればダイヤの原石になりエメラルドの真球に変わり、宝の在りかを示す最後のひとピースとなるのだ。
「そうして彼は、私のこっち側の顔をじっと見ながら言うの。これは僕だけの風景だ、これと引き換えられるなら何だって持って来るよって」
 気障よね、とマチさんは微笑む。似合ってないのに。ノッポで、ヒョロヒョロで、こんな黒縁の眼鏡して。でもたくさんの宝物をくれた。私にあげられるものは他にないの。
 百個にあと三つという時に、布川さんは言ったそうだ。今回はちょっと特別な冒険になる。もしかしたら百個目のプレゼントを持ってくるかも知れないよ。とにかく百個目には、特別に特別なものを用意したいと思ってるからね。
 期待しないで待ってるわ、でも絶対無事に帰って来てね。
「あ、そ。絶対驚かせてやるから期待しててよ」
 それが彼女が聞いた彼の最後の言葉。
 中東の安宿で知り合ったという若い男性がマチさんの元に届けた腕時計と黒縁の眼鏡。
「驚かせるって予告だけは当たったわね。本当に、生涯であんなに驚いたことなんてなかったもの」
 当時勢力を広げつつあった宗教組織の過激団体がその土地を占領下に治めたとのニュースは私も聞いた覚えがある。そこに布川さんは滞在していた。銃弾と砲撃。大使館に避難したその男性が政府軍から受け取ったのは眼鏡と腕時計だけだった。
「これが、九十八。これが、九十九」脇机の中にしまわれた腕時計と、そして、いつも手元に置かれていた黒縁の眼鏡。
「でも、行方不明なんですよね。死亡の……ごめんなさい、遺体が確認された訳じゃないですもんね」
 そうね、ひょこっと帰ってくるかも知れないわね、と彼女は寂しそうに笑った。
 瓦礫の中にはたくさんの死体。生き残った外国人はその多くが人質として連れ去られた。
「テレビでね」マチさんはぼそっと呟く。「日本人の人質が処刑されたって出る度に、ああ、今回は彼じゃなかった、今回も違う人だってホッとしてたのよ。ひどい人間でしょ」
 そんなの仕方ない。私は強く首を振った。
「たくさん貢がせておいて、私は彼に何一つあげられなかった。だから、この風景だけは彼だけのものだって決めたのよ」
 悲報を聞いて倒れた彼女はそれから何日も高い熱にうなされ、熱が引いた後も立ち上がれない日が続いた。身寄りのない彼女の世話をあれこれ助けてくれたのがヤナギ先生だったそうだ。
 その時初めて私は、ヤナギ先生と布川さんの繋がりを聞いた。知らなかったのだが、ヤナギ先生は柔道関係の偉い人で、布川さんは結構有望な選手だったらしい。怪我で引退した後も先生は布川さんに研究の道を示し、分野が違えてからもずっと関係は続いていたという。
 故障でバレーの道を閉ざされた私に目をかけてくれるのもそういったことがあるからなんだろうか。マチさんの話を聞きながら私は心の別の所でそんなことを考えていた。
 
 やがて起き上がれるようになった彼女は、彼だけの風景を護るために溶いたルージュをその顔に塗りつけた。長い黒髪をときもせずに垂らし、顔を隠して研究室に閉じこもって論文を書き上げることに時間を費やした。
 自室を与えられる時に彼女のたっての希望で布川さんの使っていた部屋に移った時も、ヤナギ先生の力添えがあったという。
「いつか、どんな形でもきっと彼は帰って来るって信じてるわ。だから私はこの場所を、彼の風景を守りながら待つのよ」

 いつか聞いた話。小野小町は深草少将の悲運に心を痛め後悔したのだとネットで知った。
 この部屋は、小町への想いの成就に逸る心を抑えていた、深草少将の庵だったのだ。