「俺が死んでも泣くなよ」


そう言われて私は極道の妻になった。


逢って3日目の言葉だ。


しかしその亭主がシャブの過剰摂取で死んだのだ。


注射器を握り締めて死んでいた。


シャキの中を見ると微量の血液が入っていた。


私はこの時にすぐに救急車を呼ぶべきだったのだが呼ばなかった。


既に脈も無く、硬直が始まっていた。


この頃から亭主の様子がおかしかったが気にも止めなかった。


どうせポン中だろう・・・としか考えていなかったのだ。


その頃には私をナイフで追い掛け回すようにもなっていた。


幻聴・幻覚・意味不明な言葉。


いい加減にしろよ!と私も静脈を捜しながら腕に針を立てる。



回りにはそんな連中が沢山いた。


亭主もその中の1人だと思っていたぐらいだ。


私は暫く硬直した亭主の姿を漠然とした頭で眺めていた。


私も年季の入ったポン中だった。


自己防衛か・・・


今、私もパクられては困る。こんなことぐらいで私を道連れにするなよという感じが一番強かったのだ。


2時間ぐらい経っただろうか。


亭主の体が黄色くなってきた。


それを私は黙って眺めていた。


処分するものは処分しよう・・・パケ・シャキ・スプーン。。。。


なんて薄情な女房だろう。


「俺が死んでも泣くな」・・・・


涙さえ出ない・・・


生きる屍誰が拾う・・・


私は大元の組長に最初に連絡をしたのだ。


その組長の支持は的確だった。


「旅に出ろと」言う


ポン中の亭主に見切りをつけて私は湯河原に行った。


しかしそこ自分のシャブを抜き、切れ目を味わっていた。


湯河原は組長が手配してくれた。


「落ち着け!」そんな組長の言葉が励みになったのだ。


私は死んでる亭主を横にそんな会話をしていた。



1週間が過ぎて私は自宅に帰る


玄関に入る瞬間に異様な腐敗臭を感じた。


「まだ亭主はいるんだ」・・・・


黄色くなった亭主の姿しか見てない


部屋のドアを開けるのが恐かった




薄茶色になって少し小さく感じた亭主が同じ姿でシャキを握ったままの姿だ。


私はその様子を組長に連絡した。


「とりあえず連絡しろ!」


私はいかにも今知ったかのように119番に電話をした。


すぐに到着。


警察も来た。


私が何で湯河原に行っていたことを聴く。


「ポン中の亭主の姿を見たくなかった」という。



「任意でいいんですが奥さんも尿検査お願いできますか?」


内心、一か八かだと思った。私の賭けだ!どうにでもなれ!


1週間抜いていたんだから大丈夫!自分にそう言い聞かせていた。



4日後に

「ひろみ、出たぞ!」


頭が白くなった。



私に付けられた罪名は・・・・