鳴海 清の生涯


ひろみの極道な半生





本妻26歳愛人21歳。二人は顔をあわせることはあっても正式に鳴海から紹介をされたことは無い。


田岡組長を狙撃する前の晩に、寿司屋で3人が向かい合っていた。



鳴海は全身白尽くめの服を着て、愛人を本妻に引き合わせたのだ。


いつもと違う鳴海の様子にただならぬ雰囲気があった。


「お前たちこれから仲良くやってくれ」と言うと、愛人の瞳は本妻に頭を下げた。


本妻は面白くないが3人で黙って寿司を食べる。



鳴海は親も兄弟も家を出て行ってしまい、一人きりになってしまう。


そこに本妻である嫁を入れて西成区荻野茶屋二丁目に「御食事処なるみ」を改装して開くが、客足はない。


二年余りで店を閉店した。



この頃の鳴海はまだ半グレの状態にいる。


そのうち、「大日本正義団」事務所前で仁王立ちした写真を持ち歩く。


この頃から破滅への道筋を作っていたように思える。



「大阪戦争」の発端になった事件が起きた。

7月26日に松田組が山口組系の3人を射殺した。




のちに鳴海にとってショックな出来事が起きる


76年10月3日、韓国ホステスが帰るのに土産を買っていた大日本正義団の吉田会長が射殺された。


鳴海は会長の運転手をしていたのだ。


しかしこのときに鳴海は交通事故に遭って家にいた。


鳴海は

「こんな稼業が嫌になってきたよ」と本妻に告げている


1ヶ月ぐらいはアパートでボーっとしていた。


時に涙を流しながら

「会長の仇は俺がとってやる」


それが口癖になっていた。


鳴海としては悔しいだろう、自分のいない間に起こった事件だ。


たとえ巻き添えを食らってもそこで射殺されてもいいと思うのがこういう男だ。



愛人の瞳に子供が出来た。


その準備をしたのは鳴海の本妻だ。


この様な状態は良くわかる。


愛人の子も自分の子も、好きな男の子に変わりは無い。



78年2月2日に今宮市で愛人は鳴海の子を産んでいる。


鳴海は愛人の子をとても可愛がったようだ。



鳴海には背中に天女の刺青がある。

その顔に子供が似ていると言う。


それを自分が子供を背負ってるようなもんだと自慢していた。




鳴海の性格は口より早く実行に移すタイプだ。


松田組の幹部にも平気で食ってかかった。


「本家も分家もあるかい、あいつらがぐずぐずしてるから先代がやられたんや」

と言い残している。


このころから鳴海の頭の中は「赤穂浪士」が仇討ちを遂げるのに1年9ヶ月だと言うことを良く言い出した。


鳴海はこれを計算していたのか。

先代の仇討ちは7月3日だ。


愛人はそう思っていた。

確かにその日から鳴海の様子が変わる。


落ちつきが無く、不機嫌で口も利かない。


いよいよだなと思う。


その日愛人と子供をつれて近くの銭湯に行った。


愛人の瞳に決行のことを伝えている。



午後11時のニュースで京都のクラブ「ベラミ」の異変が流れた。



「わしがいなくなっても慌てるな。二晩帰らないときはニュースを良く見とけ

再婚してもいいがヤクザと一緒になるな。」


鳴海は本妻にはそう告げて出て行った。


田岡組長狙撃に着ていた服は本妻がそろえたものだ。


鳴海は狙撃に失敗したあと、「もういっぺんやるからな」と本妻に語っている。



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