石田吉蔵(41)の死体が無残な姿で発見された。


荒川にある安い料亭だ。


死体の太ももと左腕に「定吉二人」と刃物で刻まれていた。



昭和も11年の話だ。


俗に言われる「阿部定事件」


写真は逮捕されたときのもので、この時点で定は吉蔵の一物を帯の中にしまったまま逮捕」されている。


その後、微笑んで刑事と話してる写真もあった。


5年5ヶ月で出所。


名前も改名した。



吉蔵との仲はそんなに深いものではない。


お互い会うたたびに魅かれあっていたのは事実だ。


何で殺す必要があったのか・・・・


今で言うSMの傾向がこの2人にはあった。


料亭を3日3晩かりて、日本酒を呑んでは情事に浸る。


殺された吉蔵が寝ていても定は吉蔵の一物をしゃぶっていた。


寝てる暇もなく遊ぶ。


定の最後の源氏名は「お加代」と言う


吉蔵が加代に言った。


「俺が逝きそうになたら首を絞めてくれ」


定はそれをして喜んでいた。


そんな行為が二人に余計な拍車をかけた。


三日三晩そんなことでふざけあっていた。


布団にも寝ず畳で転げまわって情事にふける。



吉蔵には奥さんもいる。


私が思うのは、隠し持っていた牛刀で切り落としたと言うことだ。


計画的なことなのか。


なかなか袋が切れなかったと言っているが、執念で落としたのだろう。


陰茎や陰嚢までなぜ切り取って持ち出したのか。

全て吉蔵命だ。



定の気持ちは複雑だった。


刑事に聞かれて喋ったことは


「棺桶に入れられるときに本妻にそこをさわられるのが嫌だった。」

「一番大切なものだった」

「石田のオチンチンがあれば寂しくないと思った」


これらが切り落とした理由だ。


定は石田は自分の物だと言うことを石田の妻オトクに最後まで触られたくなかったのだ。



阿部定は娼婦ではあったが石田への思い入れは深まっていた。


定も石田の要求する首を絞める遊びも好きだった。


顔を真っ赤にした石田を適当なところで手を緩める。


石田もそれで満足して射精をした。


定は常に触っている。


一時たりとも離したくなかったという。


SMもエスカレートして定の両手はどんどん石田の首を絞めていく。


限りなく死に近い絞殺に向かっていった。


定が性的な快楽を知ったのは28歳だ。


それと同時に男の数も少なくなってきた。


一人の男と昼夜を忘れて、ねっとりしたセックスに溺れていったからだろう。



定の供述を見ると、露骨に男性への思いが書かれている。


定は帯に切り落としたものを紙に包んで、死体の下のシーツに「定吉二人きり」と陰嚢から出た血で赤く書いている。


その後、違う大学の教授のもとに売春をしにいき、風呂には入らなかった。


教授が言う。


「加代、何かお前は臭くないか?」


吉蔵のモノが腐敗してきたのだろう。


そんなことも耳に入らないままに情事にふける。


帯は解いたが枕元に吉蔵のモノを隠していた。


教授との定の最後の情事になった。




殺してから10時間も、その切り取ったものを見ながら酒を呑んでいた。


その後にあそこがうずき、教授の所に行った。


定の中では共述に「おまんこが気持ちいいんです」と素直に言ってるだけなのだ。


これは女の優しさなのか。


独占欲の強さか。


いずれにしても戦後震撼させた事件だった。


今の現代で、夫婦がバラバラにされる時代だ。


究極の末の愛情から切り取ったのとは訳が違うだろう。



憎さ・・・・それが現代だ。


何となく阿部定という人間に女の情を強く感じる。


これだけは譲れない男の場所なのだろう。


今、健在なら浅草で小さな小料理屋をやっているが、元気にしているのだろうか。


定の計画性は、吉蔵を殺してから女将に「寝ているので起こさないでほしい」と告げている。


その間に教授とセックスをしたかったのだ。


犯行がばれるまえにしたいと言うことか。


女は恐ろしい肉欲の塊か・・・・・


考え方次第では可愛げのある女なのかも知れない。



余談だが、私も男のあそこを剃刀で切ったことがある。

定のことを余り言えたもんではない。

だた殺さなかっただけだ。

血が意外に出た。