獄中結婚など自分がするとは思ってもいなかった。


私は、衝動的な部分と、行動的な部分が入り混じっている。

そして武闘派だ。

イケイケではないのだが、腹が立つとそうなる・・・・・


獄中の中は各種の本が出ているのでここでは書きません。

どうせ、変わり映えのない事だと思うので。


最初にしたのは手紙だ。

365日毎日送った。

1日に2回送ったこともある。


その枚数は膨大だ。


何しろ、お互いに細かいことを何も知らないで結婚した。


彼氏が刑務所に入って結婚したのではないのだ。


住民票や・彼の本籍地の戸籍謄本を印紙を同封して送ってもらった。


それらが揃って初めて役所に婚姻届を1人で出しに行った。


年金手帳だ保険証だと役所のやる事はなかなか終わらない。


平成○○年6月25日結婚

(良く考えたら6月の花嫁ではないか、全てが幸せか!?次回は仏滅に結婚でもできたらしよう。)


彼の両親に手紙を出して結婚の報告をする。


中学から年少に入り、脱走しての繰り返しだったらしい。

刑務所に行くのは眼中に無いと言われた。

もう親も呆れて、勝手に結婚でもしてくれ、という感じだった.。

彼の人生は半分は獄中だった。


彼の父親は心臓のバイパスの手術をして大変だったらしい。

これ以上息子の顔さえ見たら同じ苦労が見えるとも言った。・


ただ、彼の実家は北海道なので、その地域の中には住まないで欲しいという手紙もきた。

自分の子供とそこまで逢いたくないものだろうか。

散々、親を泣かせたのだろう。それは親の手紙からヒシヒシと伝わってきた。


最初から出だしが悪い。


私達はそれでもいいと言うことで、彼も納得した。



手紙のやり取りで1日が始まり、同時に昨日の彼からの手紙が届く。

忙しかった。

切手を記念切手などを貼って、送ったりもした。


「お元気にしてますか・・・」

そんな文面で最初は始まった。

7枚の便箋に書く。


普通郵便では7枚の重さが限度だ。毎回速達で送っていた。

それが愛情の現れだったのかも知れない。



私達はまるで初恋の見えない人に手紙を書いてるようで、2人とも新鮮だった。


しかし毎日書いてると指が痛くなり、書けなくなってきた。

仕方ないのでワープロで手紙を出していたのだ。

少し味気ないけど、仕方ない・・・・


彼の手紙にはやはり7枚の便箋に、自分の思想や夢などを書いて送ってきた。


手紙のやり取りをしていると段々と彼の考えも分かって来る。

中でイライラした様子で独居に入れられていた、などという手紙のあったが、殆どが、獄中からのラブレターだ。


私はまるで恋をしてる感覚でいた。

彼もそうだった。


最後のほうになると

「俺が死んだら誰にも知らせるな。北海の海に全てを散骨してほしい」

そんな手紙のやり取りに変わってきた。

中で少しは改心したのかなと思う・・・・


私はこのあたりで、又シャブを打ち始めたのだ。

勝手な妄想が飛び交う。

出てきたら、どんな生活にしようかな~。

家具は?食器は?住居は?


シャブの世界で広がる妄想・・・・果てしない


朝、起きたらネタの準備だ。

カリカリとスプーンで溶きながら、帰ってくるまでに辞めればいいか・・・・・そんな考えでいた。

そんなことを思いながら、ゴムチューブを腕に巻くと、何処にでも入る血管が太き浮いている。


シリンダーを押す・・・・

1発だ!

汚れた血・・・・・


これは私だけだろうか、女は生理が来る。

そのときに汚れた血液が出ているように感じていた。


気のせいか、生理後の血管の血は綺麗だった。


現実逃避か・・・・

血ぐらいで騒いでも仕方無い!ポン中はポン中なのだ。


極中の亭主は何も知らないで手紙をよこす。

懲役はその階級によって入る手紙が月に2通とか、模範囚なら毎日とか決まっている。


したがって私の出すのは自由だが、先方は月に2通だけだ。

その枚数は1年にして半端ではなかった。

未だにあるのだ。



私達は子供の頃からの境遇が良く似ていた。

そんな事もすべて手紙で知る。


彼は出たらカタギになってマジメに働くという。

土建でも何でもやると言うのだ・・・・


そんな彼の為土建屋を捜して働き口をさがしておいた。

着る服もみんな揃えた・・・・


「出たらマジメに。。。。」こんな台詞は中にいればこそ出る台詞だ。

半信半疑だったが聞いていた。


1年4ヶ月・・・・短かった・・・・


私が面会に行ったのは、満期放免の日の前の1日だけのことだった。

1年以上手紙だけでやって来たが久しぶりの顔だ。

少し毒気の抜けた少年のような顔だった。

明日出れるという高揚感が漂っていたのかもしれない。


翌日、差し言れした白い服を着て出てきた。


少し緊張した。

何しろ初めて外で会うののだ・・・・・・


刑務所の前で「ご苦労様でした」と一言だけ言うのがやっとだ。

手紙でのやりとりとは印象が違っていた。


無口だ。手紙でアレだけ書ける人の様子がおかしい。



寿司が食べたいという。開店して無い寿司屋を開かせた。


散々夜中まで飲んで、初めて本音で語り合えたのだ。


「俺はこれからも、極道の道を歩く」

(そうか、、これが切り出せなかったんだな)


「そう分かったわ・・・・

(返事を簡単にした。。。)

新しい仕事先も、その作業服も、何も言えなかった。


朝方まで飲んで色々な話しが出来ただけで十分だ。


夜明けがきて、タクシーを呼んだ。

世話になる組にへと向かっていったのだ。

一夜限りの夫婦だった・・・


私はヤクザになるなら一緒には暮らせないと言った。

それが別れの理由だ。


今頃どうしているのだろう。

考えても仕方ない。未練もない。


結婚して指の1本も触れてない夫婦だった。


私がこの頃から。又シャブに走り始めたのだ・・・・・


その明方にも、シャブのガンコロを潰していた。少し捨て鉢な気分もしていただろう。


そうだ、売人になろう・・・・また、悪い虫が騒ぎ始めた・・・・


でも後悔は何もない。

私の道だ。


私は私の道を歩かねばならない・・・・


売人として・・・・・・ヤクネタか?

イヤ違う!世捨て人だ。



*次回、芸能人のポン中話をします。実名は出せませんが、イニシャルで想像してください。