【キリングフィールド】ここにみんな行くべきなのだ(21)【カンボジア・シェムリアップ】 | sabato財閥

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ラーメンとカレーに縛りをつけたMなランチ。
とりあえず、日記をblog媒体で晒していく系。
嗚呼。
ほんといい世の中になりました。何を言っても弾圧されない(笑)

 

 

 

前回の記事の続き!!

 

【リーリーレストラン】町で朝食クイティウを食べよう!(20)【カンボジア・シェムリアップ】

 

 

 

 

 

 

 

カンボジア、シェリムアップ最終日!!

 

 

朝食にクイティウを食べた後は、

 

 

 

トゥクトゥクでこの旅のために映画と歴史を学んできたエリアへと出発。

 

 

 

 

やってきたところは、

 

 

ここ

 

 

 

 

 

 

キリングフィールド

 

 

 
 
 
 
 

 

諸君らは知っているだろうか、

 

 

この映画を

 

 

 

 

 

 この映画と同じタイトルでもあるところだ。

 

 

 

 

 

 

カンボジアといえば、

 

遺跡やアンコールワットのイメージを持つかもしれないが、

 

 

ここは30年くらい前まですさまじい内戦があったところだ。

 

 

 

歴史をそれなり学んでいったつもりだが、

とにかく第2次世界大戦後以降のベトナム戦争に続く、冷戦と南北戦争、それに、ソ連と中国の代理戦争に近い状況もあって複雑すぎる背景がある。

 

 

 

 

 

 

 

ただ、確実に言えるのは、

 

ポルポト派(クメールルージュ)によるカンボジア内戦があり、その死者数は飢餓と虐殺により70万から300万人に及ぶといわれている最悪の内戦があったことだ。

(国勢調査が1962年からおこなわれていこともあり正しい数字は不明だが、再開した国勢調査の結果をみるとおおよそそうではないかと言われている)

 

 

 

 

 

 

 

 

ポルポト派の原始共産主義によって、徹底した知識人層や資本家、役人、さらには、眼鏡をかけている人、英語フランス語を喋れる人、芸能人までもが強制労働または、処刑をされる時代へと突入する。

 

 

 

 

(お寺の奥にひっそりとこの資料館があるのでいくべし。日本語英語韓国語中国語で書いてある)

 

 

結果、

 

人口は激減し、1993年にカンボジア大国(現在)が誕生し総選挙がおこなわれるまで国は安定しなかったのだ。

(1992年にアンコールワットが世界遺産に登録された)

 

 

 

 

このキリングフィールドは、

 

プノンペンの方がたくさんあるのだが、シェムエリアップではここ1か所が納骨堂としてあるのだ。

 

 

 
 
 
 
 
 
詳しく知りたい人はネットでもいいが、上記に挙げた映画なども見てもらえればいいなと思う。
(個人的にはアメリカ的でやや嫌がだが‥)
 
 
 
 
 
誰もが安心して生活できる社会を。
 
なんてレベルじゃない。
 
 
 
日本が高度経済成長を猛烈にたどり、国民皆年金や医療保険をつくり生活を安定させる政策をつくっていたころ、飛行機で5時間のこの国では、同民族・共同社会の殺戮(ジェノサイド)が行われていたのだ。
 
*ちなみにカンボジアには国民年金も医療保険もありません。平均寿命60才代で、結婚して子どもを産んでその子どもに老後みてもらうというのが一般的な考えです。
 
 
 
 
 
 
 
20代くらいの現地のトゥクトゥクドライバーにここ、キリングフィールドに行ってほしいといったが、「は??ここ?え?」みたいな反応だった。
 
 
たぶん、みんな来ないのだろう(個人では)。
あと、若い世代へのこの歴史の引継ぎもあまりない印象だった(現地ガイドさんと話した私の印象だが)
 
 
 
個人でも1時間半の空き時間があれば、中心街のオールドマーケットからトゥクトゥク(3ドル)で往復+資料館もじっくり見れるのでぜひ行ってほしい。
 
 
 
きっと、自分の今いる地点を感じられるはずだ。
いや、考えさせられるはずだ。
 
 
 
 
 
さて、
 
次のエリアへむかってさらに出発!!
 
 
 
タロウ「ケンカすなっ!!俺をみならえ、俺は銀河系クラスで友好をむすべるんやぞ!先日なんかな、火星人のダチと直接脳に話しかけてだな-、おいっ!だから置いてくなっ!」