Excerpt from;

Barenboim and Ashkenazy in rehearsal: Stravinsky - The Rite of Spring (1968) 

『ストラヴィンスキー 「春の祭典」 バレンボイムとアシュケナージ』 (1968)  より

 

若かりし、バレンボイム(26)とアシュケナージ(31)の連弾。

演奏曲目は、不協和音に満ちたストラヴィンスキーのバレエ音楽 「春の祭典」。

二人の掛け合いが面白い。

 

アシュケナージが演奏会で、「何を成し遂げようとしているか?」と聞かれ、答えている。

 

Ashkenazy:
What am I trying to achieve?
But the answer is very simple.
To do justice to the piece of music you're playing.
But after you finish, you are off the platform and you know you have to play this piece again in two days, two years, ten years.  
You know you have to achieve same thing and better thing.
But when I'm being asked isn't their feeling of satisfaction it you feel that you play the well.
I could say Yes reason feeling of momentary satisfaction.
I don't have a sense of last things satisfaction ever. can't be...
So from time to time, you know sometimes I think it's a funny thing that you could be polished, polished you know I play probably better and better then you die you know it does that all for.  So funny.

『(本番では)私が、何を成し遂げようとしているか?
答えは簡単です。
演奏している音楽作品に対して真っ直ぐに向き合うこと。
しかし、演奏を終え舞台を離れたあと、その作品を2日か2年か10年以内に、
また弾かなければならない。
その時には、今と同じか、それ以上の演奏をしなければならない。
しかし、尋ねられてみると、それは聴衆の満足感ではなく、
自分自身が上手く弾けたと感じること。
それが質問の答えだろう。瞬間でも満足感(達成感)が得られるからです。
私は、最後の満足感はまだ得られていない。それはまだありえない。
だから時々思う。日々磨かれて、そしておそらくどんどん良くなっていっているだろうと。
そう思うと楽しい。
そして、いずれ死ぬ。それが全てです。
面白いでしょ。』
 

 

本番などでの、自分自身の演奏に対して「満足感や達成感」を持つのは、なかなか容易ではないが、瞬間でも満足感が得られたなら、それは達成したと言えるのでしょう。

 

以前、巨匠の指揮者も言っていたが、

「本番で満足のいく演奏なんてない。聴衆が満足してくれた時、それが成功と言うだろう。」と。

 

アシュケナージも言うように、ちょっとした満足感を得て、ひたむきに次の演奏に繋げていくのが、Achieve(達成させる)なのかもしれない。