先週、発表会が無事に終了した。

毎年、客席で聴かせてもらうのだが、今年も素敵な音楽に包まれた。

音楽は、音を鳴らすのではなく奏でるもので、一音一音が譲り合って助け合って、協奏している。(まるで人間たちのように。)

手前味噌だが、私はいつも、そんな皆の演奏に感動させられる。

実は私が一番、それを楽しみにしているのかもしれない。

 

発表会も終え、やれやれとホッとしている中、先日突然の電話が。

教室の電話には、色んな勧誘やセールスも多くかかってくるため、毎回警戒して受話器を取るのだが。

今回は、突然の英語。

私も条件反射でスイッチが切り替わるが、「英語で何かの勧誘か?」と疑う。

しかしどうやら、以前イギリスから問い合わせがあった方からだった。

さっそくレッスンが始まりそうだ。

 

言葉や文化の違いで演奏も大きく変わりそうなものだが、今までの外国人の生徒さんを見たり、また留学中にも感じたが、

国の違いというより、その人個人のキャラクターの違いが演奏に “自動的に” 反映される。

これは楽器演奏に限った事ではない。

個性というのは、隠せないし、また、得てして出すこともできない。自然と零れ、溢れ出てしまうもの。

またそれを否定したり、崩したりする権利は誰にもない。

作曲者の意図した音楽に、無限の可能性を持って鍵盤に触れるしかない。

 

私は、その無限の可能性を追い求めるために、言葉や文化の違い、また色んな人や物に触れながら、無限の見聞を広げていきたい。

 

そしたら、個性も “自動的に” 磨かれるかな。