今週の日曜日から、4年ぶりにニューヨークへ行ってきた。
いつもマンハッタンに着くと、昔住んでいた時の記憶が瞬時に蘇る。 懐かしい故郷に帰ったみたいに。 
 
海外に行くと感じることだが、色んな文化の違いがあって、いつも楽しい。
もちろん普段何気なく、当たり前に暮らしている日本の素晴らしさにも、気付かされる。
文化とは、その国の歴史、言葉、食べ物、考え方、風土、体型、気候など多くの様々な事の総称なのだろう。
 
私は、この文化の違い全てが、どの分野の音楽にも大きく影響すると思っている。文化の違いは、弾き手も聴き手も変える。
 
世界中の文化の異なる地で育った人が、世界共通の同じメロディを演奏しても違いが出て当然で、またその違いがおもしろい。
特にクラシック音楽は、全世界共通の“楽譜”を、世界中の異文化の人が演奏し、また聴いている。

国や文化の違いだけでなく、人によっても音楽感は様々で、楽譜に書いている事は元より、
その「人となり」が音楽感に大きく影響するのは、言うまでもない。

また、言語においても、
同じ英語でも、訳す者や使う言葉によって、ニュアンスが異なることがある。

たまたま帰りの空港で耳にしたアメリカ人老夫婦の会話。
どこかに少し移動しようとした夫が、付いてきた妻に対し、こう言った。

“Don't follow me all the way.”

これを日本語で、
「いちいち付いて来るな。」または、
「わざわざ付いて来なくていいのに。」。

同じ英語でも、ニュアンスは分かっていても、“翻訳者”によって随分印象が異なる。

 ピアノ演奏も、同じ楽譜であっても、いかに “演奏者” によって音楽が変わるかである。

 

どう捉えているかだけではなく、どう表すかである。
 
人が、物と物の媒体になった時、その人の全てが自動的に反映され、表現される。

それを、 “芸術” と呼ぶのだろう。